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旅行記 > 最果てのサンクチュアリV
無事千軒岳から生きて帰って来ることができたので、今日は函館観光。キリスト教関係のところを中心に回ります。ここのところの悪天候が嘘のような晴天で祝福されているように感じたりして
(*'ω'*)♪
五稜郭バス停より
路面電車は便利だけれど混んでいることが多いので、今日は五稜郭バス停から出発。今日はお祭りみたいで、街をそぞろ歩く人も多いです。
函館駅にあるバス案内所で荷物をコインロッカーに入れ、身軽に変身☆
案内所で尋ねると、私が行きたい所行きのバスを教えてくれました。
日本基督教団 函館教会
そこでバスに乗り「十字街」で下車すると・・・
おお、教会が!
日本基督教団 の函館教会だそうです。こんな所にあったんだ。
訪れる予定には入ってませんでしたが、歴史がありそうで素敵です。ちょっとお邪魔してみましょうか。扉を押して中に入ると、受付みたいな所に牧師さんが。「観光客なんですけど、見学していってもいいですか?」と訊くと、招き入れてくれました♪
ハリス記念礼拝堂
淡いピンク色の礼拝堂は「ハリス記念礼拝堂」というそうです。明治の初期にやってきたM.C.ハリスはメソジスト派の宣教師さん。新渡戸稲造や内村鑑三に洗礼を授けた人です。
なんとここの教会は、国内で3番目に古いプロテスタントの教会なんだとか。それは偶然見つけてラッキーでした。
由緒ある歴史もピカピカのパイプオルガンも素晴らしいですが、現在この教会に通う信徒さんは50人ほどなのだとか。さぞやたくさんの人が所属しているんだろうと思い、牧師さんに訊いたのですが、答えてもらって悪かったような感じになってしまいました。
もちろん歴史的な価値は変わらないですけどね。人口も都会ほどではないんだろうなと思いました☆
シャルトル聖パウロ修道女会修道院
遺愛幼稚園が戦前まで遺愛学院があった所だと聞き、そこへ向かおうと八幡坂を登っていると、左手に修道院が。
シャルトル聖パウロ修道女会の修道院だそうで、敷地内のレリーフに由来が書かれていますね。隣の幼稚園もここの経営なんでしょうか。
ん、ここ、函館白百合学園の発祥地みたいです。この辺りは明治時代、カトリックもプロテスタントも軒を連ねて活発に活動していたんですね。そっか、きっと居留地内だから。ふむふむ
(*^^*)
カトリック修道院 |
函館白百合学園発祥地 |
遺愛幼稚園
坂を登りきると函館西高校、その横に
遺愛幼稚園がありました。
解説板を見ると、やはりここが遺愛学院発祥の地みたいです。
今は幼稚園以外は五稜郭の方に移転しているんですが、元々はこっちにあっただろうなと思っていました。さっき出てきたM.C.ハリスの奥さんが創立の契機となった学校なので。
ここに新渡戸稲造が来て講演をし、宿泊もしたはずです。また新渡戸稲造が北海道で最後に泊まったのもここですね。建物はこれかどうか分からないけれど。夫人と一緒に船に乗って本州に渡る予定でしたが、荒天で船が出なくて遺愛学院に泊まったと記録されています。
こちらの建物も淡いピンクで、先ほどの日本基督教団の教会と対になっているみたいな感じが☆彡
遺愛幼稚園 |
遺愛学院発祥の地 |
函館西高校 |
西高校前の碑 |
函館ハリストス教会
続いて
函館ハリストス教会へ。近くて便利です。
ハリストス教会の日本宣教は、ロシアから函館に来たニコライ司祭から始まる訳ですが、ニコライに出会って最初の日本人信者になるのが沢辺琢磨。
坂本龍馬の従兄弟で、元神主です。この沢辺琢磨が密航を手伝ってあげたのが新島襄。同志社を創立した人で、牧師でもありますね。超教派の連携というか、つながりがあって、興味深いです。
さて解説板によると、ここに初代ロシア領事館があったみたいなことが書かれていますが、そうなんでしょうかね?(私の読解力ではそう読めるんですが自信がない;;) だとしたら、「返答次第では斬ってやる」と思って、大太刀を懐にした沢辺がここに来たことになるんですけど。ドラマや。。(*'▽')
日本聖公会 函館聖ヨハネ教会
ほんと教会があっちにもこっちにもあって見るところが多いです。こちらは
日本聖公会の函館聖ヨハネ教会。
英国国教会の流れをくむ教会ですね。カトリックとプロテスタントの中間みたいな教派で、聖堂はウッディで素朴な印象のことが多いです☆
ペリーや初代駐日総領事タウンゼント・ハリスはアメリカ聖公会の熱心な信徒でしたから、デニング宣教師を支援したことでしょう。大体タウンゼント・ハリスが日本と結んだ条約に「居留地内での外国人の信教の自由」を認めさせたからこそ、開かれた五港の居留地に教会が建てられるようになった訳ですから。
そしてそのお陰で、まだ禁教下だったのに、一方ではプロテスタントが宣教を静かに始めていたし、他方ではカトリックの隠れ信徒たちが教会に「復活」してきたんですね。歴史はつながりが見えてくるとほんとに面白いです。
カトリック函館教会
教会めぐりのラストは
カトリック函館教会。
ここが一番観光客が多いですね。喧しい外国人観光客も、聖堂に入るとちょっと静かになっていました。良いことです♪
私がお祈りしていたら、すぐ後ろの席に男の人が来て熱心にお祈りし始めたので(聖堂は広くて他に座っている人いないのに)、怖くなって早めに切り上げましたけど。幸いその人が追いかけて来ることもなくほっとしましたが、女性一人は気を付けなければですね。いや、いつも守ってもらってるんだなと感じました
(;^ω^)
カトリック函館教会 |
カトリック函館教会 |
鐘楼 |
解説板 |
大三坂
カトリック函館教会前の大三坂をアジサイを愛でながら下ります。今日から8月ですが、北海道は夏が遅れてくるのか、本州で6月くらいに咲く花が満開です。
爽やかな風が吹いていて、もう言うことなしって感じのお天気です♪
海岸に向かっててくてく♪
レトロな町並み
今日見たいと思っていたものは、あと新島襄出航の地だけなので、レトロな町並みを楽しみながらてくてく。
北方歴史資料館、ホテルHAKODATE、函館市文学館、北島三郎記念館が次々と現れます。どれも観光客誘致したそうな感じを漂わせてますが、あまり人は来てないような?
景色がいいかもしれないので、もう一本海沿いの道を歩いてみましょうかね☆
北方歴史資料館 |
ホテルHAKODATE |
函館市文学館 |
北島三郎記念館 |
「北海道第一歩の地」?
潮の匂いを感じながら海岸沿いの道を歩いていると、白いオブジェが。近づいて見てみると、ん、「北海道第一歩の地」とな?
解説板によりますと、ここに以前「
東浜桟橋」というものがあり、北海道に上陸する者は必ずここを通って北海道への第一歩を記したのだとか。沖合に大型船が泊まって、桟橋までは小舟で行き来したみたいですが。
つまりここを通って宣教師やクリスチャンたちも北海道に上陸した訳で。すると私が今通って来たのと同じルートを、新渡戸稲造もニコライ司教もハリス牧師もカトリック修道会のシスターたちも歩いたということですね。路面電車に乗らずに徒歩を選んだ甲斐がありました
(*^^*)!
北海道第一歩の地 |
北海道第一歩の地 |
解説板 |
東浜桟橋 |
運上所跡
ほんの少し歩くと厳めしい門が。海上自衛隊の函館基地です。観光客も多いだろうにこんな町中にあるんですね。
おっと、解説板が出ています。ここは
箱館運上所跡だそうです。今でいう税関です。人や荷物を調べた場所ですね。
さっきの東浜桟橋に上陸した人たちはまずここに連れて来られて旅券やら荷物やらをチェックされたのでしょう。繰り返して言うまでもなく、宣教師やクリスチャン、外国からの領事館員などが通った場所です。
函館居留地跡
更に真っ直ぐ歩いて行くと「
外国人居留地」と書かれた解説板に出会いました。実のところバスから降りてからずっと、居留地内を歩いて来たんですけどね (^_-)-☆
こちらの工場や駐車場になっている辺りは、東浜桟橋からもちょっと離れていて、教会などがある方面とは逆側になります。なるほどそれで新島襄はこの辺りの海岸から出帆(密航)したんだなと、地理的位置的に納得できたりして☆
新島襄出航の地
「外国人居留地」の解説板から海岸へと続く道を行くと、その先に「
新島襄出航の地」碑が。
この時代お上の許しを受けていない海外渡航は禁止されていて、見つかれば死罪もあり得る重罪でした。
だから正確には「出航」ではなく「密航」ですね。国禁を犯して海外に渡った新島襄は洗礼を受け神学校などで学んでから帰国して、日本人として初めてキリスト教主義の学校を創立しました。今の同志社大学の前身、同志社英学校です。
そこへ熊本でL.L.ジェーンズの薫陶を受けた熊本バンドの青年たちが入学するようになった訳で、この時代のキリスト教世界は教派を超えて助け合っているような、知らず知らずのうちに補完し合っていたような印象を受けます。
新島襄の密航を手助けした(それもやはり重罪)のもハリストス教会の沢辺琢磨でしたし。今もそうだといいのになと思ったり。いえ、一部ではそういう取り組みもなされてますけどね♪
新島襄ブロンズ像
新島襄出航の地まで見たら、函館で絶対に見たいものまではコンプリート。あとは余裕ある時間の使い方をしてもいいということで、
新島襄のブロンズ像まで見に来てみました。
像を建てたのはロータリークラブで、西波止場という観光施設の近くにあるのですが、特にこの場所に新島襄の足跡が残っているというのではなさそうですね。
少々時間がありますので (^^♪
きれいな町並み
ではもうちょっと歩いてみましょう。函館の観光名所(特に史跡)は居留地内を中心にぎゅっと集まっているので、徒歩で回っても十分です。多少疲れますが
(;^_^
歴史的建造物にガーデニングまで施されて、町歩きが好きな人にはいいでしょうね。ちょっと飲食店が少ないような気もしますけど。まあ都心並みの利便性を求めてはいけませんわな。都心にはないものがあるんですから。
函館市文学館
時間があったので、あまり普段旅先では入らない「文学館」へも入ってみました。フィーチャーされている文学者たちをざっと見たところ、クリスチャンはいなさそうな。
しかし石川啄木はクリスチャンでなくても、啄木が送った聖書を読んで啄木の妹がクリスチャンになり、しかも伝道婦にまでなったので、その三浦ミツという女性の展示が少しでもないかと思い探してみました。
少しミツに触れられているところもありましたが、濃い内容ではなかったですね。文学関係の史跡案内を見ていたら、もう一日あったら行きたい所が何ヶ所かありましたけれど、今回は無理なので☆
函館市文学館 |
石川啄木像 |
北方民族資料館 |
北方民族資料館 |
旧イギリス領事館
資料館に何ヶ所か行くならお得なチケットがあるというので、それを選び、近くにある旧イギリス領事館にもゴー。
よく管理され手入れの行き届いた歴史的建造物で、素敵な雰囲気を味わいながら歴史を学べます。
個人的には歴代イギリス領事関係の資料が興味深かったですね。この人たちはどこの教会に通い、どんなことを祈っていたんだろうと想像しながら見ました。通ったのはたぶん聖公会の聖ヨハネ教会でしょうけど。
旧イギリス領事館 |
初代イギリス領事 |
初代イギリス領事 |
五稜郭の設計者 |
元町公園
それでは坂道を登って元町公園へ。ここが
箱館奉行所跡です。当時は下を、つまり居留地と港を睥睨するように建物が建っていたんでしょうね。
今は昼寝をする人がベンチを占領してますけど。 バックに建てられた洋館がちょうどいい感じに借景になっていて、眺めがいいです。海側、山側どちらを見ても。
確かに昼寝したいくらいの気分にはなりますが、今日はちょっと暑くありませんかね?北海道にしては強い日差しが照りつけています。
元町公園 |
箱館奉行所跡 |
後ろが借景 |
洋館 |
函館支庁庁舎 |
道指定有形文化財 |
函館四天王像 |
函館四天王について |
いい眺め
あまりに素晴らしい眺めで、時を忘れるというか、今までここでどんな歴史があったのかを忘れそうです。
刻まれてきた歴史は忘れようにも忘れられないものだけれど、忘れるべきことは忘れようという気持ちになれます。一言で言うなら寛容になれる、ということでしょうか。
たまにはいい景色を見るのが心には効くようです♪
ペリー提督来航記念碑
坂道を下りながら、旧イギリス領事館の反対街に目を向けると、イベント会場に使えそうな広い公園が。
その中に
ペリー提督来航記念碑があります。来てたんですね、ペリー。この辺を歩いてたんだ。
ペリーはアメリカ聖公会の熱心な信徒で、艦上でも礼拝を欠かさなかった人。だから日本で最初のプロテスタントの礼拝は、ペリーが浦賀沖に停泊していた時船上で行われた礼拝です。陸上での最初のプロテスタント礼拝は下田にタウンゼント・ハリスがいた時に行われたものですね。
ペリーとハリスが、日本の開国において一対(いっつい)のような働きを成したことは間違いありません。この像は見られて良かったな。時間に余裕が生じたお陰で良いことがいっぱい
(*'▽')キャッキャ
ペリー提督来航解説 |
ペリー提督像 |
ペリー提督来航記念碑 |
諸術調所跡
道なりに下りていくと「
諸術調所跡」という解説板も。読むと、新島襄が箱館にやって来たのもこの学校が目当てだったのだと書かれています。
えっ、そうだったの!?
知らなかったことを、町をウロウロしながら学ばせてもらっているようです☆
路面電車で函館駅へ
どこかで昼食でも取ってからと思ってましたが、結局そこまでは時間がないまま路面電車で函館駅へ。
実は函館駅前から14:50に出る高速バスに乗らなければならないのです。今回予定を立てていて気付いたのですが、函館から札幌ってすごく離れているんですね。
そのバスに乗ったとしても札幌駅に着くのは20:15ですから、えっと約5時間半ですか。電車だともう少し早いですが1時間ほどしか変わらないのでバスにしました。北海道って広いんだな。
高速バスで札幌へ
バスに乗って半時間ばかりで、周りはどんどん霧に覆われていき、さっきまでの好天が嘘のよう。そういえば今回は、来る直前まで北海道では初めてという規模の台風が来て荒らしまくっていて、昨日晴れ間のような一日があったので登山できたのです。
その上今日まで午前中あんなにいい天気だったのだから、本当はもっと感謝していなければなりませんでした。感謝って、恵まれている時には気付けなくって、後で失った時にすることが多いですよね。すべき感謝をしないでいると、後で後悔することになりますし。ああ、日焼けするほどの晴天をありがとうございました!
ある時にだけ感じられること
ある時にだけ感じられることがあります。ちょうど舌の上にお菓子がある時にだけ甘さを感じられるように、財布の中にお金がある時にだけお金があるように。
それが失われたら、あったのかなかったのか夢のようだし、以前あったとしても今ないなら何の意味もないことになります。そのように、生きている時だけ生きていることを感じられ、命がなくなったらすべてが夢のようなもの。意味がないものになります。
そんなことを思う時、私は永遠性に憧れます。この世のすべてが、ある時にだけあって、無くなったら夢のように儚いものならば、その先にある永遠に希望をかけないではいられないから。
お菓子やお金がなくなったら無いように、人生の時間が過ぎたら何にも無しでは自分が可哀想。だから生きている時には生きている時に感じられることを感じて、そうしながら永遠な世界に持っていけるものに心をかけたい――。そんなことを思いながら、札幌行きのバスに揺られていました
(*^^*)
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