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旅行記 > watashiを見つけてくれて T
急遽、大阪へ。別に問題が起きたのではなく、以前からチェックしていたキリシタン関係のシンポジウムに行けることになったので☆
キャンセル待ちをしていたら、2日前にキャンセルが出たと電話があり、それで当日の朝新幹線に飛び乗って喜び勇んで来たわけです。いいことあるといいなヾ(@⌒▽⌒@)ノ
「戦国河内キリシタンの広がり」
今回のシンポジウムのタイトルは「戦国河内キリシタンの広がり」。大東市の市政60周年を記念した行事で、パネラーの人たちも豪華です。私からしたら、正にオールスター☆_(*゜∇゜)ノ~☆キラーン
飯盛城を国の指定史跡にしたい思惑もあって、大東市長の挨拶も熱を帯びています。ただ残念なのことに、このシンポジウムのトリを飾るはずだった神田宏大牧師がほんの2、3日前に亡くなられて、娘さんが代わりに挨拶してみえました。
神田牧師は河内キリシタンのことを長年研究し世に知らしめた人で、私も本を読んで書いてある史跡に行ってみたので、直接話を聞いてみたかったですね。
シンポジウムではキリシタン墓碑のことが特によく取り上げられていたのですが、それは大東市のお隣の四条畷市で発掘された田原礼幡(レイマン)の墓碑が、日本で一番古く、唯一誰のものか判明している墓碑だから。
因みに二番目に古いものも大東市のお隣八尾市で見つかったマンショ墓碑(よく考えるとキリシタン墓碑が見つかってない大東市でシンポやってるのも不思議ですが)。九州や京都でもなく、大阪で。しかも二つとも北河内というのが、キリシタン史に残された謎ではないかと、キリシタン墓碑の第一人者
大石一久氏が言っておられました。
大阪グレースチャーチ
私の関心のど真ん中だったので大変興味深く、あっという間に7時間が過ぎ、夕方にシンポジウムは終了。
せっかく大東市まで来たのでちょっと史跡探訪。シンポのあった住道駅から歩いて行ける所に、キリシタンの処刑地と言われる場所があるものですから。
道を歩いていたら、グレースチャーチ系の教会を発見。キリシタンがいた河内に今も灯りが灯っているのを確認しました♪
キリシタンゆかりの地蔵社
住道の、初心者には分かりくい道を行きつ戻りつ、ようやく目当ての社を発見。
「地蔵社」と本には書かれていましたが、鳥居には「八幡宮」と掲げられています。うーん、どっちが正式な呼び名なんだろう?
お堂の中には地蔵尊が安置されていて、それを祀って「地蔵社」としているそうです。神仏混淆というか、私には不思議に思えますが、まぁ、そういうこともあるんですかね? 祠堂の前には一部の人が「キリシタン灯籠」と呼ぶ織部灯籠が2基(1基は上部欠損)あります。
「キリシタン灯籠」の思い
私は織部灯籠をキリシタンと結びつける短絡的な考え方には反対なんですが、これを「キリシタン灯籠」だと思って、キリシタンゆかりの地に供養のために置く人がいてもおかしくないなとは思います。なぜならここが河内キリシタンの殉教地ではないかと考えられているから。明確な史料はないので、言い伝えと推測レベルの話になりますが、弾圧期には文字史料さえ残す余地がなかったのですから仕方ありません。
少なくともこの地域に2千から3千人のキリシタンがいて、住道などには教会があり、賛美歌が響いていたことは確かです。城主自らが飯盛城で受洗してキリシタンになり、教会を建てて通っていたので、キリスト教の城下町みたいな様相を呈していたことでしょう。だからこそ戦国の様々な変転で城主が変わり、禁教令が出されてからは弾圧されていったわけで。
殉教地がどこかにあったはずだけれど明確な場所は分からない場合、推定地だけでも訪れてみたいというのが人情ではないでしょうか。訪れたからと言って、何が分かるというのでもないですけどね。でも来てみて感じることは、「命脈」にも似たつながりです。昔キリシタンがいて、今自分がいる、その目に見えないつながりを確かに感じました☆
大東キリストチャペル
駅に戻ろうとしていたらもう一つ教会を発見。大東キリストチャペルというそうです。
小さいと言っては何ですが、地域密着型のアットホームな教会がこの辺りにはいくつもありますね。そういうこと知ることができるのも、徒歩でめぐる良さだと思います♪
野崎グレースチャーチ
ちょっと足を伸ばして野崎に向い、神田広大牧師が牧会してらっしゃった地域も見に行ってみました。
神田牧師は野崎キリスト教会の牧師さんでしたが、見つけられたのは野崎グレースチャーチ。
以前、野崎観音とその周辺のキリシタン遺跡地をめぐった時に、この教会の前を通ったのを思い出しました。いくつも教会がある街なんですね。神田牧師のご冥福をお祈りしつつ・・・。
野崎にて
急激にお腹がすいて、いえ徐々にすいてたんでしょうけど、夢中で歩いていて気付かなくて、手が震えるくらい血糖値下がってきて食堂へ。野崎教会のすぐ近くなので、ちょっと余韻にも浸れるかなと。
私は2年前に野崎観音で、鐘の中に刻まれた十字架を見るまで、この地域にキリシタンがいたことに懐疑的でした。いたんだろうけど、それほどの規模でもなく、「隠れ」になってまで信仰を守ったってことはないだろうと、ちょっと低く考えていたんですね。
そういう考え方をしてしまうのが私の悪いところで、それを感じて反省するしかありませんし、しかも事実としても違っていたのですから凹みます。覆されつつありますね、私の認識観。。(=´Д`=)ゞイヤハヤ
何やかんやで一日が終わり、今日は日曜日。礼拝に行くため、史跡めぐりはあまりできそうにないので続けて書いちゃいます。昨日は大東市から近い「近鉄河内小阪駅」に宿を取ったのですが、マップを見ていたら近所に気になる場所が。一駅分くらい歩いて回ってみましょうかね♪
樟蔭学園
まずは樟蔭学園。竹鶴リタさんが先生をしていた学校です。
竹鶴リタさんは、国産ウィスキーを開発した竹鶴政孝の奥さんで、朝ドラ「マッサン」のヒロインのモデルとなった人です。
聖公会のチャプレンによると、リタさんは女性宣教師と言ってもいいくらいの働きをしていたそうで、それでちょっと関心がありました☆
でもこの女学校がどこにあるのか、地元民でない私にはイメージもできず、訪れる予定もなかったのですが、たまたま泊まった宿の近くに名前を見つけたので寄ってみたわけで。こういうのも導きなんですかね? リタさんがいた頃からあったんじゃないかと思う建物も見えます。作家の田辺聖子の出身校でもあるようで、その古い建物が記念館となっています。
樟蔭学園 |
樟蔭学園 |
織部灯籠・・・ |
もうすぐ100周年 |
カトリック布施教会
樟蔭学園からぼちぼち線路沿いを行くと、布施駅までの間に寄れる教会が。カトリック布施教会です。
周りが仏教系の宗教関係の施設で固められていて、若干肩身が狭いような立地条件です。そんなこと感じておられないかもしれませんが・・・(^^;)
カトリック布施教会 |
カトリック布施教会 |
では四条畷へ!
四条畷学園
大阪在住の友人の通う教会で礼拝を守り、午後は一人でお出掛けを。ほんとは誰か一緒に行ってほしくて、教会の人何人かに声をかけてみたんですけど、皆さん忙しくて。
しょーがない時はしょーがないので一人で四条畷にゴー。昨日のシンポジウムで出ていた田原礼幡の墓碑を、やっぱ本場で見てみたいのです (*^.^*)エヘ
伝統のありそうな四条畷学園の前をテクテク。ここから先がびっくりするほど道が狭くて、バスが来るたび退避しました。昔からの街道なんでしょうねぇ。
飯盛山?
墓碑のある四條畷歴史民俗資料館行くには北へ20分ほど歩かねばならず(たぶんバスがあるはずだけど、よく分からないので;;)、6月末とはいえ暑くなってきた日差しの下はちょっとこたえます。
だけれど右手には飯盛山(の連なりの一部)。この山を見れと心躍ります。河内キリシタンは、この山にあった三好長慶の城で、配下の武将73名が集団受洗したことに始まりまるのです。歴史を生んだ場所なんですね。飯盛山も一度行ってみたいけど、120分ハイキングコースしかなくて、挑戦するか考え中なんですけど...(いや行こうよ、そこはw)。
四條畷歴史民俗資料館
汗だくになって四條畷歴史民俗資料館へと到着。こんな辺鄙な所に、発見されているものの中では日本で一番古く、かつ誰の物か分かっている唯一のキリシタン墓碑があるなんて!
そんなんでいいだろうかと一瞬思いましたが、入場無料の文字を見つけて前言撤回することに。いいですよ、飾らない雰囲気で♪ たくさんの人に見てもらえるでしょうし(観光バスとかは停められないと思うけど)。
田原礼幡の墓碑
資料館のメインとなっているレイマン墓碑は展示室の入ってすぐの所に。
2人のガイドの人が個別に説明してくれるので、予備知識がなくても価値が分かります。
この資料館の館長さんが発掘にあたった人だということで、質問すればかなり詳しいことまで教えてくれますし。私的には願ったり叶ったりの展開です♪ 聞けばシンポジウムの前日、大石一久氏も人を連れて来ていたんだとか。やっぱ基本史料には時折、直に接するのがいいんでしょうね。実は私はこの墓碑を高槻で見たことがあるんですけど、発掘された四条畷にある様子を見たくて来たのです。
「随分と熱心な・・・」と思われてしまい(そう思われないよう努めているのですが滲み出てしまうようで)、でもそのお陰で非売品の本2冊もいただきました。実際に墓碑が発掘された千光寺跡は今どうなっているか等、知りたいことが多かったので有り難いです。これは神様からのプレゼントだなっ(o^-^o)
2000年前の人骨
こちらの博物館にはレイマン墓碑以外にも見るべきものがあり、その一つが2000年前の弥生人の骨。ちょうど木製の棺までは水に浸り、人骨は土に埋もれたために、棺に人骨が入った状態で見つかりました。
墓碑にしてもこの人骨にしても、複製ではなく本物が、ガラス一枚を隔ててそこにあるのでリアルさが違います。
特にレイマン墓碑に関しては、どうしてこうもキレイなんだろうと、訝しく思うほどで、何回も「これ本物ですよね?」と訊いてしまいました(失礼^^;)。それはたぶんこの墓碑を、時が来るまで隠しておいてくれた人たちの思いというか姿というか、そういったものが重なっての美しさではないかと。
レイマン墓碑は墓地に埋められていたのではなく、寺の境内から発見されています。その寺の責任ある人が埋めて隠してくれなくては、今目にすることはできません。また打ち壊した痕跡も全く見られません。長い迫害期間にあっては、これをキレイに境内に埋めておくことは危険だったろうに・・・。時を経て、「今私は、これを見せてもらっているんだな」と感じました☆
高野街道
レイマン墓碑とのツーショットの写真まで撮ってもらって外へ出ると、前の道が高野街道だと書いてありました。
そっかそれで道が細かったのね。京都の東寺から高野山へと向う道筋だそうです。空海ロードですな。いろんな旅人が通って行ったんだろうし、都から来た宣教師やキリシタンも歩いたのかも。。♪
市内に戻りましょう\(o ̄∇ ̄o)/
飯盛山ー!
では電車に乗って大阪の市内へと戻りましょう。車窓からは飯盛山(の連なりの一部)。立ち上がって窓辺に行き、写真撮っちゃいました (^0^*ホホホ
待ってろよ、飯盛山ー!(いつか登ってやる!・・・といいな)
大阪歴史博物館
では大阪歴史博物館へ。このビル全体が博物館だなんて力入ってますね☆
ここに来たのは昨日のシンポでパネラーの一人が「歴史博物館の一階第7展示室にキリシタン墓碑だと書かれたものがあったが、それについてはどう思いますか?」という話をしていたから。
16時半までに入場しなければならなかったので急いで行き、また17時の閉館までに必ず見たかったので、受付で「すみません、一階第7展示室に行きたいんですけど」と言ってみましたら、「一階は無料でご覧になれるスペースと土産屋しかありません」とのこと。えっ・・・何かの聞き間違い!?
ローマ字印章
この博物館はエレベーターで最上階まで上がって、そこから降りながら見て行くスタイルなので、とりあえず昇り、平安すっ飛ばして江戸へ(良い子の皆さんはきちんと回りましょう)。
むむー、やはりキリシタン墓碑らしきものはなく、キリシタン関係の物は大坂城で発見されたローマ字印章くらい。
これが「ダリオ」と読めることから、これが高山右近の父、図書のものだとする説があると書かれています(本によっては「ダリオのものだ」と書いてあったりも)。でもどうでしょう? 福井に蟄居させられたダリオ高山図書の、大事な印章だけが大坂城に残される可能性がどうやったら生まれるんでしょう? やっぱキリシタン史は霧に包まれていますねぇヽ(TдT)ノ
村野藤吾の作品!
展示品そのものよりも、見せ方に感心しつつ、それなりに楽しみながら現代まで下りて来たところ、「これを見るためだけに来ても良かった!」と言えるものがありました。
クリスチャンで建築家の村野藤吾の作品です。村野藤吾が手がけた心斎橋プランタンは今はもうないけれど、内部に置かれていた家具等の一部が展示されていたのです。
椅子とテーブルと衝立だけですが、モダンな機能美に溢れていて古さを感じさせません。実際にはこれを見るためだけにはここまで来ることはできなかったと思うので、たまたま来た時に展示されていて感謝です。こういう感謝を忘れてはいかんと思った瞬間でした☆
村野藤吾の椅子 |
村野藤吾の衝立 |
心斎橋プランタン |
村野藤吾の作品 |
馬場町
それにしてもキリシタン墓碑は、一体どこの博物館の一階7展示室にあるんだと思いながら、館外へ。道をはさんだ所が「馬場町」で、ここもちょっとチェック。
豊臣の時代のことでしたが、大坂のキリシタンが捕縛され、大坂城の「馬場」で拷問を受けたことがありました。それがどこだったろうと探しているのですが、ここがその候補地の一つ(私がそう考えているだけですけども)。
大坂城のすぐ近くで「馬場」の地名が付いているからという、至ってシンプルな理由でそう考えているわけで、豊臣時代の大坂城と徳川になってから築かれた城は位置も違うんだよ!と言われると、何とも言えないんですが。。すごーく何でも知ってる郷土史家さんとか大坂城の研究者さんに訊いてみたいです。大坂城の馬場はどこだったんですか〜?
ヴォーリズを見に行こう♪
大同生命本社ビル
そろそろ日も暮れてきたのでラストの目的地へ。
ヴォーリズ建築の大同生命本社ビルです。
去年の朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルが広岡浅子で、その広岡浅子が作ったのが大同生命。なので今年の9月まで中では広岡浅子展が開かれているんですが、今日は日曜なのでクローズ。ちょっぴり見たかったけれど、これくらいは我慢です☆ ヴォーリズは広岡浅子の義理の妹の夫になったので、その関係で建築を請け負ったんでしょうね。いい感じです
(*゜v゜*)
大同生命本社ビル |
ヴォーリズ建築 |
加島屋本家碑 |
加島屋解説板 |
三井住友銀行
道を渡った所には三井住友銀行の重厚な建物が。三井家は広岡浅子の生まれた家ですね。そこからさっきの大同生命ビルの所にあった加島屋に嫁いだのです。
大きな商家というのは、そんな風に関わり合いが互いにあったんだと分かります。
それにしてもこの辺りは立派なビルばかりで、すごいです。金融街なんですかね。
《後日談》
旅行を終えて家に帰ってから調べてみたら、この建物、長谷部鋭吉の代表作といわれているものでした。長谷部鋭吉はカトリックのクリスチャンで、大阪のカテドラルの設計者。私から見たらカテドラルの方が代表作なんですが。それにしても知らずに見てくるなんて、あはは。いや、トホホかな
(;´д`)
大阪YMCA
スマホの地図に出てきたので、大阪YMCAも外観だけ見学。どういう事業をやっててこんなビルまで建てているんだろうと、大人な考えが浮んできます (^。^;)
クリスチャンが現代に果たすべき仕事や役割は多くて、それを事業化して成功するのはいいことだろうと思います。肉体は精神が働く土台になりますもんね☆
watashiを見つけてくれて
今回の旅行記タイトル「watashiを見つけてくれて」は、広島での出会いを通して感じたことから付けました。広い世界、数多くの人々の中で、神様が一人ひとりを見つけ、導いてくださったことを深く悟って。
自分でも普段は意識することがなく、口にも出さない様々な人生の経緯、経験してきたこと、辛い思い、願いなど、そんな切なるうめきを、神様が祈りのように受け取ってくださって、強い御手で旧い世界から引っ張り出してくれたように思います。間違いなく、私も。
ありがとう神様、私を探してくれて。この世界で私を見つけてくれて――。そんな思いを込めて綴っていこうと思います (*'▽'*)/
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