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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 watashiを見つけてくれて U


3日目は一緒に歩いてくれる人がいます。四条畷出身のクリスチャン女性Gさんを友人が紹介してくれまして。平日だけれど今日は大丈夫だということで一緒に回ります。私結構方向音痴ですし。。感謝♪


純福音大阪教会


待ち合わせの場所から少し歩くと十字架が。「純福音大阪教会」と書かれています。大阪には韓国の人も多いし、純福音のもっと大きな教会は南の方にあったから、ここは支部教会の一つでしょうか。

それにしても十字架を高らかに掲げています。今日最初の目的地は、お寺の鐘の中に十字が刻まれているというのですが、幸先の良さを感じたりして☆


純福音大阪教会

周辺


 昨日に引き続き四条畷へ★


駅からバスで


いくつかの電車を乗り継いで四条畷駅へ。そして今度はバスで農村地帯を目指します。

龍尾寺という、鐘の中に十字があるお寺は、住宅地を抜けた山の中。四条畷人でもあまり来ないような所にあります。もしかして隠れキリシタンが参っていたんだとしたら、立地としては頷けますね。


農村地帯

そこから山へ

近くには神社

龍尾寺


こちらが龍尾寺。禅宗のお寺で、龍に関する伝説が解説板に書かれています。

それらを軽く読んで鐘楼に直行。緑に近づくと蚊の猛攻に遭いましたが、この際背に腹は替えられないので進みましょう。

解説板には鐘のことは書かれていませんが、鐘は江戸時代の初頭に肥前国(現在の長崎県)の人が寄進したことが分かっています。


本堂の龍の絵

解説板

龍の伝説

境内の石造物

十字入りの鐘


「あった!」

一度野崎観音で経験しているので、鐘の中に十字が刻まれているのは多少見慣れているのですが、それでも「おおっ!」という感じです。

この鐘の寄進者は野崎観音の鐘の寄進者と同一人物なのですが、こちらの方が後に造られたものらしく、十字の形がもう少し整っているような印象です。

鐘の内側


写真だとフラッシュを焚かないとよく写りませんが、肉眼で直接見ると浮き上がっているのでよく見えます。

傷ならば削られたようになるはずですが、これは陽刻、つまり浮き出る形に刻まれているので、作為的なものであることが分かります。

私の身長(154センチ)からだと、鐘を打つときにちょうど真正面に見えます。これ、打つ度に主を思っていたんじゃないかと・・・。私たちクリスチャン2人には、昔の先輩たちの残したもののように感じられました。それで調子に乗って賛美を。お寺の境内で歌ってきちゃいました。蚊には刺され続けましたが、心は天国。大きな声では賛美できなかった先祖たちを思いながら...ヽ(*^∇^*)ノ


正面に十字

陽刻

鐘の内側

ランチとおしゃべり


バス停に行くと、一時間に数本しかないバスが1分後に来て乗れました。一つ一つ感謝しながら大阪市内に出て、ちょうどお昼になったので京橋でランチを。

たくさんおしゃべりできて、それも恵み深かったです。何と言うか、話が通じるということがうれしくて♪



 次は芦屋へ (o^-^o)


アガパンサス


私は兵庫に向うので、Gさんに電車の乗り口まで送ってもらい(大阪の電車はすごく複雑で、一人で何回迷子になりかけたことか;;)、またすぐ会いましょうとお別れを。

ここから一人で大丈夫?という感じですが、とりあえず芦屋に着きました。駅前の歩道にはアガパンサス。「アガペ(神的な愛)の花」という意味です。今の私にぴったり、、かな?


神愛教会は・・・?


さて芦屋に降り立ったのはカトリック教会を見るためですが、携行している地図を見たら駅の反対側に「神愛教会」があるということで行ってみました。

が、あるのは入居者募集中の貸しビルのみ。よく見たら、お勧めの使用目的として「店舗、教会等」と書かれています。

つまりここが以前教会だったということみたいですね。今どこに行っちゃったんだろう? 信者さんが増えてどこかに大きな教会堂を建てて引っ越したんですかね。それならいいけど☆


芦屋警察署の向こうに


では気を取り直してカトリック教会のある北方向へ。手前にある芦屋警察署の建物がレトロで存在感があって目を奪われます。

兵庫県に入ったら途端に大阪とは違った雰囲気になりましたね。郊外のゆったりとした感じの。道も広くて緑とマッチしています。


カトリック芦屋教会


さてこちらがカトリック芦屋教会。長谷部鋭吉が設計した教会堂です。

長谷部鋭吉は宝塚に住んでいた時、アトリエを聖堂として貸して欲しいと言われて快諾したことがきっかけになり、クリスチャンになりました。

アトリエでのお話会が定例化して、人がたくさん集まるようになってきて、その中にいたのが村野藤吾夫妻で、この村野藤吾の設計でカトリック宝塚教会は建てられるようになり、村野自身がその教会で受洗することになるわけですけど・・・。つながってるんですよね、ストーリーが。

私は仕事場であるアトリエを貸して、後には十字架の道行きも描いた長谷部鋭吉という人に魅力を感じます。温厚篤実な性格ゆえに導かれ、尊く用いられた人として ∬´ー`∬


カトリック芦屋教会

教会入口

聖堂内


芦屋川教会


地図を見ていたらもう一つ教会があったので、歩いてみました。20分ほど歩いて、日本イエス・キリスト教団の 芦屋川教会に到着。

駅周辺だけ見るつもりだったので、大きな荷物全部持ち歩いて、結構大変でした。次からはコインロッカーに預けようっと☆



 御影にも行ってみよう ρ(^-^*)


草間弥生?


さて御影にも寄ってみましょうか。八木重吉(今から約100年前に生きたクリスチャンの詩人で、内村鑑三の影響を受けて再臨を待っていた)が新婚時代に暮していた町なので。

駅から御影中学校へと向うと、右手の団地に草間弥生の作品みたいなオブジェが。ちょっと異彩を放ってていい感じです。町にこういったエッジの利いたものがないと、平板に感じるので。


この碑が八木重吉の碑か?


御影中学に着きました。ここが御影師範学校だった所で、八木重吉が英語教師をしていたんですね。

校庭に重吉の詩碑があるらしいですが、うーん、外側からはどれか分かりません。この自然石めいたのがそうなのかなぁ。。どうしよう、こういう時引っ込み思案って困るんですよね (>_<)


御影中学

御影中学

校庭に詩碑が

八木重吉の詩碑


意を決して門扉をそろそろーっと開けて入って行くと、教頭先生みたいな人が。

「すみません、旅行者なんですけど、八木重吉さんの詩碑が見たくて来たんですけど・・・」

年齢の割には如才ない挨拶のできない私。しかも旅行用のでかいバッグまで持って、まるで家出人みたい。自らのダサさに恐縮しながらも意図を説明すると、教頭先生(私の推測)は詩碑まで案内してくれました(↑)。感謝!

碑の文字は見えずらくなっているけれど、「夕焼」(↓)のようです。八木重吉自身の文字で刻まれているのが温かみがあってグッド。でも全体的に磨耗しているので、削り直してほしいなというところ。神戸市にお願いした方がいいのかな? いや、まずは神様にお願いを☆ 学生たちに読んでほしいですね。


夕焼

ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ




八木重吉詩碑

御影師範学校跡

御影中学校庭

御影中学裏門

ここに西国街道が!?


「あと見るべきものと言えば、街道の松ですね」。教頭先生がそう言いながら、校庭の反対側まで連れて行ってくれ、ゴロゴロと門を開けると立派な黒松が。

「すごいですねー」と解説板を見ると、西国街道の松と書いてあります。あ、道の反対側には西国街道の石碑まで!

こ、ここ、西国街道の通過ポイントなんですね。このかぎ状になった辺りには木戸か何かあったのかな? いずれにしても26聖人が通っている可能性大です。すごいこと知っちゃった。教頭先生(私の推測ですが^^;)ありがとー!

 

街道の黒松

黒松解説

西国街道


 駅高架下の湧き水


「沢の井」


駅の高架下にも「沢の井」という名所があって、御影の致命の由来になったということも聞いたので行ってみました。

昼間でも暗くて水が湧いてて、休憩中のサラリーマンがたばこ吹かしていて、どことなく殺伐とした雰囲気。

でもそういった目に映るものよりも、感覚的に「怖い!」という感じが襲ってきて、「早く離れよう」と思いました。解説碑の一部が白塗りになっているのは、差別的な言葉が書かれているからでしょうか。それなら早めに予算組んでちゃんと直した方がいいと思うけどな。市民と観光客が目にするものなんですから。


「沢の井」

「沢の井」解説碑

古い標柱

八木重吉借家近辺


せっかく御影に下り立ったので、あと1ヵ所だけ八木重吉ゆかりの場所へ参りましょう。昔ながらの商店街などを見るにつけても、新婚時代の重吉夫妻が浮んできて、幸せな気分に♪

重吉は23〜27歳の時、御影で過ごしたのですが、この時代が人生で一番幸福だったのではないかと思います。次に移った柏で重吉は発病し、茅ヶ崎で29歳で生涯を閉じるのですから。

重吉が暮らした場所は?


御影で重吉が暮した場所は4ヶ所ありますが、私の調べた範囲で住所が分かるのは御影中町1丁目の借家のみ。現在の住所と住人の名前が分かっているので、すぐ見つかるだろうと、スマホのナビで行ってみましたが、住所地に家がありません(たぶん)。アパートになっているのか、私が見逃しているのか・・・。

隣に相当する家の住所を確認し、その隣にある御影柳公園をパシャリ。恐らくここが重吉が御影で最後に暮した場所、、か、その近辺だと思われます。曖昧な結果で若干不本意ですが、出掛ける前に大急ぎで調べて出発してしまったので、リサーチ不足は仕方ないかと。。あー、じゅーきちー!



 ラストは神戸居留地跡♪


駅前の交番


重吉を振り切って、とりあえず神戸へ。居留地跡だけ見て、今日泊まる新開地駅へ行っちゃえば一日は終わりです。微妙に疲れてきて集中力が落ちてきたので、とっとと終えよう。うん、それがいい。

元町駅で下りるとレトロな交番が。わぁ、観光地だなという感じで、うれしいような寂しいような。中国人観光客がものすごく多くて、それもどないなもんだろうと思ってしまいます。別に悪いことじゃないけれど、「ここ日本だよね?」みたいな (^^;)


神戸居留地跡


スクランブル交差点を渡ると、大丸百貨店の北西角に「神戸居留地跡」碑を発見。この辺り全体が居留地だったんでしょうね。宣教師もたくさん来たんだろうし。

見まわすとおしゃれで洗練された街並みで、中華街があるところなどが横浜そっくり。同じく居留地で、港があるからでしょうか♪


神戸居留地跡

神戸居留地跡

大丸百貨店

中華街

神戸市立博物館


居留地跡の碑が簡単に見つかったので、ついでに神戸市立博物館まで行ってみましょうか。神戸市立博物館にはザビエルがいるので、ちょっと挨拶をば (*^^*ゞ

と思いましたが、休館日でした。そっか、月曜だもんね。ザビエルはサントリー美術館で見たからいいや(ほんとは何度見てもうれしいけど)。

それにしても居留地内って今もハイソな感じですね。外国みたい。


神戸市立博物館

向かいの洋館

旧居留地

居留地の地図


では駅に、と思っていたところで目に入って来たのは居留地の地図。昔の地図に現在の主だった建物がマーキングされています。

・・・おっ!?

今も残る建物の中にヴォーリズの作品と長谷部竹腰建築事務所の設計によるものが。それは寄ってみたいですねぇ☆


ヴォーリズの作品


ヴォーリズが手がけた建物は、さっき曲がった角、デパートの裏手にありました。確かにコリント式の柱やレンガっぽい外壁がヴォーリズ。今はエルメスの店舗が入っているみたいです。

新古典主義っていうんでしょうかね、建築様式については勉強中で詳しくないですが、品があって落ち着いているけれど、細部に意匠が光ってて良いです。

ヴォーリズは明治期にお抱え外国人として滋賀県に来たけど、学生に聖書教えてクビになり、建築学科出てたので設計事務所開いて、それで成功して学校や病院、またメンタームで知られる近江兄弟社を作った人ですね。私の認識では、市井に生きた宣教師といった感じです。自邸とかは木材を多用してナチュラルに仕上げたけれど、居留地の建物はこういう風にしたんですね (*゜.゜)ホー


ヴォーリズの作

ヴォーリズの作

あいおいニッセイ同和損保


少し歩いてこちらのあいおいニッセイ同和損保ビルが、長谷部竹腰建築事務所が手がけた建物。

長谷部竹腰建築事務所は長谷部鋭吉と竹腰健造が共同経営した設計事務所で、現在の日建設計の元となった会社です。

竹腰健造はクリスチャンではないのですが、こちらの建物はぱっと見、竹腰さんっぽいですね。長谷部鋭吉もノータッチではないだろうとは思いますけど。正面からよりも横から見た時、窓の位置が互い違いになっていて、そこが素敵なアクセントになっています♪

前にずっと停まってるカンガルー便のトラックが動いてくれたら、もっといい写真撮れたんだろうけど。。ま、仕方ないか。狭い範囲だけどちょこちょこ歩いたので疲れました。コインロッカーが見つからず、また少しだからと高を括って、御影も元町も大きな旅行カバン持ったまま回ってしまったし。もう帰ろう・・・。


長谷部竹腰建築事務所

あいおいニッセイ同和損保

ビル正面の窓

側面の窓


 兵庫駅まで行っちゃいましょうか ( ̄  ̄;)


西惣門跡


もう帰ろう・・・と思っていましたが、路線図を見ていたらもう1ヵ所、行っとくべ、と思うしかない所を見つけて兵庫駅へ。

明日朝一で船上城跡に向うためにも、今日中に近場を押さえておかねばならなくて。というか、「兵庫駅」って駅があるのを初めて知りました。

兵庫駅で下りると、案の定コインロッカー見つからずで重い荷物持っていく羽目に。でも少しだからいいでしょう。26聖人が泊まったと考えられる神社だけ見たらいいんだし。

26聖人の兵庫での宿泊地


西国街道の兵庫の宿場は、この↑西惣門、当時は柳原惣門と呼ばれた所にありました。西国街道を通って西に向う途中、26聖人が兵庫の津(津とは大きな港のこと)で宿泊したことは分かっていますが、それがどこであったか明確には分かっていません。

それで惣門跡の横手にあるえびす神社が、宿泊地の候補として挙げられています。この辺りで一番大きな神社仏閣だからでしょうね、当時からあったものじゃないとダメですし。確実にこの惣門は通っていると思いますが。


柳原惣門解説

柳原惣門と西国街道

えびす神社


えびす神社は近年できた大通りと、今では狭い道にしか見えない西国街道に挟まれた、三角形の土地に建てられています。

本殿前にちゃんと拝殿もあって、由緒正しく崇敬を集めてきた神社であることが分かります。

境内も現在でもそこそこ広いので、昔はもっとだったろうと思うと、26聖人を収容できただろうなと。

ただ「ここである」という明確な何かがほしいですね。消去法であっても。だけれどたとえ26聖人に訊けたとしても、連行されていくだけだったから、自分たちがどこにどうやって収容されたか彼らだって答えられないかも。もどかしい思いが募ります…c(゜^ ゜ ;)


えびす神社

えびす神社

拝殿

石造物

高札場跡


えびす神社だけ見たら駅に戻ろうと思ってましたが、街道の先に高札場跡があると史跡マップに書いてあったので向ってしまいました。

もう体力限界です。小雨も降ってきたし。旅行カバンが肩に食い込んでどうしようもなくなっているし・・・。

あれ?ここで曲がったんだ。地図で確認すると、この角でV字型に西国街道は曲がり、西に続いています。兵庫の津はもう少し東だから、26聖人が泊まったのももっと東かもしれないと思ってましたが、ここで曲がるとなると、宿泊候補地の範囲は狭まります。

すると、さっきのえびす神社がやっぱり怪しいですね。ここまで10分ほどゆっくり歩きましたが、あれくらい広い敷地のある神社仏閣はなかったので。明確な証拠は見つからなかったけれど、自分なりにはここかなと思える場所が見つかったので良かったですかね。全くの無駄足ではなかったという意味で。少なくともこの角、26聖人は曲がったんだろうし☆


高札場跡

高札場跡解説

史跡案内地図

西国街道

築島寺


で、絶対道を引き返そうと思っていたのですが、「兵庫の津」なるものが見たくなり、気付いたら東に向かってました。私一体何してるんだろう...(T▽T)アハハ

「兵庫の津」は埋め立てが進んで、水路みたいな形で残る所が港の跡のようです。兵庫津の高札場は、築島寺とも呼ばれる来迎寺の門前にあったということでパチリ。

ここにキリシタン禁制の高札を掲げていたということですね。こんなに全国津々浦々まで禁制を貼り出す必要性はなかったろうに。合理性を欠くほどの迫害をしたのは、信仰者の姿に恐れを感じたからか? 弾圧して命を奪っても尚、高札を下ろさなかったのだから、それ以上の何かを考えてみるべきなのかも。そんなことを感じました。



水路

水門

中央市場



お手紙をいただきました


初日のキリシタン・シンポジウムでお会いした牧師先生からお手紙(メール)をいただきました。その方はこのサイトを読んで下さっていて、会場で私がその管理人ではないかと思い、話しかけて下さったんですね。牧師さんのカンの良さにびっくりしましたが (;^_^A

それで後でお手紙を下さったのですが、結びの言葉が「主イエスが再び来られるまで、主の死を、素晴らしい救いの福音を、告げ知らせてまいりましょう。あなたの上に、神様が大いに祝福を注いで下さいますように、お祈り申し上げます。在主」とありました。

そうか、クリスチャンの使命はこれなんだなと思いました。これをせねばならぬ、何を措いても。何をするかよりも、何のためにするか、どんな心でするか。キリシタンの足跡を明確に知りたいけれど、その前に私自身の目的を明確にしようと思いました。そんなわけで、今日も感謝でおやすみなさい!




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