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旅行記 > 私のとち旅 その三
今日は日光を回って帰る日。あまり夜遅くなって帰宅するのも嫌なので、見るべき所だけ見たら早めに帰ろうかと思っています☆ しっかりちゃっかり効率よく回ることができますように!
JR日光駅
JR宇都宮駅からローカル色満点の各駅停車の電車でJR日光駅へ。東武線の日光駅に移動してコインロッカーに荷物を預け、東武の旅行窓口が開くのと同時に入店し、東武バスの一日乗車券を買いました。
私の場合は「世界遺産めぐり手形」という、日光東照宮周辺だけのバスで十分なので、500円と安上がり。日付が記載された小判型の乗車券で、ちょっと気分上がります♪
平成大修理中!
バスに乗って15分、「勝道上人像前」停留所で下車すると、
輪王寺はすぐ。
朝から多くの外国人観光客が来ていますね。団体さんは日本人ばかりで、外国人は個人旅行客が大半。
イメージとは逆でした。交通などいろいろと勝手が分からず難しいように思いますが、海外の人はそれさえ旅の一部として楽しんでいるのかもしれません。私のような女性一人旅の人も結構います。一眼レフカメラ持って来ているひともいますね。女子旅の時代なんでしょうね。
輪王寺は日光東照宮を囲むみたいに広がっているお寺。いくつもの塔頭、お堂があって、家光の墓所がある大猷院も輪王寺の一部です。大猷院はここからちょっと離れていますが、そちらまで見学できる共通チケットをこちらのチケット売り場で買うのがベスト。一か所ずつ入場料を払うと割高になってしまいますからね☆
さてチケットを買って入ろうとすると、デーンと聳える白い建屋。壁面にお堂の絵が描かれてますが・・・。そう現在平成の大規模修繕ということで、輪王寺の本堂である三仏堂(国重文)は丸ごと建屋の中に入っちゃっているんです。輪王寺本堂の外観が絵だなんて、いきなりがっかりですが、ま、先は長いのでのんびりいきましょうかね
(*'ω'*)
修理現場が見られる
建屋の中に入って行くと、ブルーシートがいろんな所に張ってあって、完全に工事現場。だけれど基本的な拝観は可能です。仏像は写真撮影不可だったので撮れませんでしたが、結構間近に、しかも普段見られない角度から見られます。
順路を進むと、日光東照宮を造営することを家康に進言した天海僧正の木像もありました。建屋内は少々暗いので、暗がりからぬっと現れたような感じでご対面。
家康のブレーンだった天海はキリスト教禁令の立役者なので、私からしたらバットで殴っちゃおうかなみたいな人なんですけど(ほんとにはやりませんよ笑)。ストイックな顔立ちの像で、こんな人だったのかなと思ったりして。
確かに不便ではあるものの、修理中だからこそのいい面もあり、瓦に覆われる前の内部構造を見られるのは今だけかもしれません。マニアには垂涎のひと時なのではないかと。いろんな修理が2021年から23年には完了するのだという工程表が掲示されていました。オリンピックに間に合わせようとしてないところが太っ腹ですね。時間よ、流れたければ勝手に流れていけよみたいな。
大修理見学室で見たものは?
建屋の2階には大修理見学室というものがあり、工事内容などを解説しているのですが、「土居葺き板」という御札くらいのサイズの木が500円で売られており、これに願い事を書いて奉納すれば、重要文化財である三仏堂の部材として使いますとのこと。こんなところにも商魂が・・・、いや信心深い人への有り難い配慮があるんですね!
建屋は基本的に工事現場なので、他の階は立ち入り禁止なのですが、2階の他に7階も一般公開されていて、こちらには「天空回廊」という素敵な名前が。名前には惹かれますが、何たってエレベーターなど無しなので、登るか否か一瞬迷います。もうここまで来たので腹をくくって登りますけど。
ぜいはーぜいはー。。ヨレヨレになって到着した7階からみた光景が↑の写真。外へ向かう窓もあるので、日光の山々も一望のもとに。いい感じですよ。疲れが吹き飛ぶって感じではないですけど、甲斐はありました♪
大護摩堂
三仏堂の背後には大護摩堂。その横手には日本庭園と護法天堂があります。お堂の間にオベリスクみたいな塔があるなと思い近づいてみると、相輪橖(トウ。塔とも)というもので、こちらも国重文だそう。
解説坂を読むと、慈眼大師(天海のこと)が構築した供養塔だと書かれています。またもや天海か。見るべきものを見させてもらってるなと思いました。
歩いていると、「こちらですよー」と少し離れた所から僧侶が声をかけてきました。何だろうと寄って行ってみると御朱印の受付ブースでした。御朱印、最近流行ってますもんね。よく私くらいの女性が御朱印集めしているのを見かけます。
実は私自身も小学生の頃に御朱印集めをしていたことがあり、ご利益のあるスタンプラリーみたいな感じで楽しかった覚えがあるんですが・・・。日本人って、こういうコレクター心理くすぐるものに弱い傾向ありますよね。でも今は集めておりません。クリスチャンですし。神社仏閣に来る女性がすべて御朱印集めしていると思ったら大間違いだ!と思ってスルーしました。
何というか、単なるスタンプラリーならいいんですけど、ご利益信仰と結びつき、一つ幾らというお金にまで結びついた時点で冷めてしまいますね。
日光東照宮
それでは世界遺産に登録された日光の社寺の中心、
日光東照宮へとまいりましょう。日光の社寺、東照宮と輪王寺、二荒山神社はお隣さん同士でコンパクトにまとまっているのがいいところ。
全部徒歩で回れるので、バスなどに乗るのは来るときと帰るときくらいです。私のような運転ができない個人旅行者にはうれしいです☆
ここまで来ると修学旅行生がどっと増えます。小学校高学年かな?聞こえてきた話の内容は書けませんが、いろいろ生意気にしゃべっていることが、結局かわいいっす
(≧▽≦)イイネェ
五重塔
日光東照宮に入ってすぐ、左手に現れるのが五重塔。
これ思いっきり見えてるんですが、近くで見るには別料金がかかります。
でも近寄って横から覗かないと、スカイツリーを支える構造となった心柱(しんばしら)を見ることができません。それで数百円払って(券売所の人も「ちょっとでごめんねー」って感じでついて来て案内してくれます)入場。
横に回って軒下みたいな所を覗くと、そこだけ板が外してあって、薄暗い中にぼうっと見えますね、心柱が。これが例のあれかいな、みたいな感動はあります。感動というより、満足感に近いですかね。価値が感じられる人にしかおススメできないかも☆
スカイツリーの構造 |
五重塔 |
酒井忠勝が奉納 |
彫刻 |
干支の彫刻 |
横から見上げる |
心柱が見える軒下 |
心柱の写真 |
表門
では東照宮のチケットで中へ。最初に表門をくぐるのですが、これがすでに豪華なので陽明門と間違えて写真撮る人続出。
くぐると校倉造りの神庫や水盤舎(手水所)が見えてきます。どれも朱塗りをベースに極彩色で彩られているので、「豪華絢爛」とはこういうものだというサンプルのよう。
白馬
有名な三猿のいる建物は、重要文化財の神厩というもので、中にお馬さんがいます。白馬で、神厩と言うくらいだから神様の使いってことでしょうね。
人の多さに慣れているようで、のんびり餌を食べていました。泰然自若としていて好感がもてます。
さて三猿も現在修復中でレプリカの展示。私は(大昔に)修学旅行で見たからいいですけど、本物見たい人もいるでしょうにね。
陽明門
たぶん日光東照宮と言えば陽明門!なんでしょうけど、これまた修復中でレプリカもなくて、何と言うか・・・、「工事中」ですね。
修学旅行生が一気に可哀想になりました。順番待ちで並びながら解説を聞いていると、高い顔料を使って修復しているので1センチ四方を塗るのに2万円かかり、全体で500億円もかかるんだとか。
目玉が飛び出しそうな金額ですが、陽明門は2017年3月に修復されてお目見えするそうです。
さてここで一つ注意しなければならないのが、日光には無料のボランティアガイドさんはいない(たぶん)ということ。ガイドでご飯食べている人たちが多いのに、無料のガイドさんなんて置けないんでしょうね。いやそれで参ったことに、軽い詐欺?に引っ掛かってしまいました。恥を忍んでお話しますと――。
軽い詐欺に;;
「カメラのシャッター押しましょうか?」と、女性二人に声を掛けられ、何となく近づいていくと、私のカメラをすっと受け取った女性がそれをカゴに入れ、代わりに自分の大きなカメラを取り出して、「先にこちらで写真撮りますね。買わなくても結構ですから」とパシャリ。え、買うって・・・?
一応その後に私のカメラでも撮ってくれる(まあ、詐欺だと言われないためにでしょう)んですが、撮り終わるとニコニコしながら今度は後ろのブースを指さし、「もう現像出来たので、見るだけ見て行ってください」と。
そっか私のカメラで撮ったのは詐欺に問われることを防止する目的プラス時間稼ぎだったのかと、初めて気付きました。完全にハメられました。で、「買わなくてもいい」ということですので、突っぱねることはできるんでしょうけど、せっかく来た観光地で嫌な気分を与えたくもないし、したくもないし、結局買ってしまいました。
1500円。高いですね。誤魔化しみたいな紙のフレームに入っています。苦々しい思いを味わいながら立ち去りました・・・。皆さまお気をつけを。それからもし職業選択の自由があるなら、こういうお仕事は選ばない方がいいと思いますよ (*´Д`)
唐門
陽明門の向こうにはまたまた門。唐門です。手前にたくさんの灯籠があって目を奪われます。門もデコラティブですが、門から続く壁も同様に装飾過多。
これを優雅と言うべきか、やり過ぎと言うべきかは悩むところ。色が剝げてるのにそう感じるくらいだから、作られた当初は如何ほどだったかと。
これを見て「センスいい!素敵!最高!」って言う人、正直どのくらいいるんでしょう? 世界遺産なんだから文化的、歴史的価値はもちろんあるものと考えますが、ほら、趣味という意味で。
唐門の天井画 |
一本灯籠 |
一本灯籠解説 |
レプリカの眠り猫 |
奥社への道
唐門から右手に折れて東回廊へ。すると頭上に眠り猫。レプリカですが。この辺でいい加減レプリカ攻撃をやめてほしいところですけど、2020年までは全然やめる気なさそうですね。
坂下門をくぐり奥へ。この先に家康墓所である奥社があります。急に森閑とした雰囲気になり、ここが神社だということを思い出させてくれます。
長い石畳を行くと次に千段近い石段が。しょーがないわなと思い登ってましたが、この石段の一つ一つも石柵の一本一本も全部一本石をくり抜いて作ったものなんだとか。地味に資材と労力注ぎまくってて驚きます。大体ずっと踏んで来た石畳もインカ並み。「神を祀ると思うと、人はこんなに本気出すんだな」と妙に実感しました。
坂下門 |
石段と石柵 |
すべて一本石から |
奉納された狛犬 |
奥宮拝殿
そいでもって奥宮拝殿に到着。途中何度もぜーはー言いながら止まっては休み、怒涛のような小学生の群れに先越されましたが (;^_^A
ここは家康墓所を拝むためのものですね。裏手に回れば家康に会えます。会いたいとは思ってないですが、確かめるような感じですね。キリシタン嫌いが高じてキリスト教禁令を発した大御所様の帰着点を。
家康墓所
どーん、こんにちは。小学生の時もここに来たのかな。記憶にありませんが。
家康の墓所は重厚ですが豪華絢爛というんではなく、受けた印象は何かが「鎮められている」感じ。
たとえが悪いですが、悪鬼かヴォルデモートみたいな霊的魔物を、スピリチュアルでホーリーな物で押さえつけて封印している感じです。控えめに言っても、確実に一種の霊気は漂っていますね。私にはどす黒くてモヤモヤっとしたものに思えます。ハリポタ的発想で恐縮ですが
(;^ω^)
ここがパワースポットだとか言って、気を受けに来る人もいるようですが、どうでしょうね。どちらかというと気を吸われそうです。実際家康という人は健康オタクで我慢強くて、どう考えても粘着質なタイプ。人に元気をくれる人ではなかったように思えます。
お守りが結構売れてるようですけど、400年前に死んだ人に人を助ける力があるんでしょうか。普通に神様を信じる方がいいだろうにと、私は単純に思ってしまうんですけど☆彡
休憩所あり
拝殿から石段を少し下ると休憩場所があるんですが、びっくりなのは自動販売機で売っているのが「おーい、お茶」オンリーであること。そっか、いわゆる神域だもんね。
だけれど私は体質的に糖分がないとダメなので、カバンに忍ばせておいたトロピカーナで一息。下りは膝がねー(ばあさんか)。
これでもかというくらい延々石段が続くので、徳川関係のドロドロのサイドストーリーに思いをめぐらせながら下山しました (。-∀-)フッ
回転灯籠
唐門戻って今度は向かって左側のサイドを攻めます。まずは不思議な形の灯籠を。回転灯籠と釣り灯籠と書かれています。確か外国から来たんでしたっけね。
壁沿いに没個性的な感じでずらっと並んでいる石灯籠たちも、よく見ると寄進者たちの名が刻まれていて、それも大名とか城主とか結構有名な人たちです。
一基奉納するのにどのくらいかかるのか(マネーが)知りませんが、私の背丈より大きな物なのでそれなりにかかるでしょうね(マネーが。しつこい?)。
とすると、ここは家康に安らかに眠ってもらう墓所でも、家康を本気で神だと信じて祀る宗教施設でもなくて、徳川家にちゃんと忠誠を誓っているかを計るための政治的な施設ということになりますね。そういうことならば、からくりが解ける気がします。なるほどね、それで必要だったんだ、日光東照宮は。
鳴龍のいる本地堂
向かって左ウィングの突き当りにあるのが本地堂。靴脱ぎ場に大きく「鳴龍」と書かれている通り、これが最大の売り物で、鳴龍が鳴く声を聴いてこそ、東照宮に来た甲斐を感じるというものでしょう。
小学生の団体に混ざって入堂することになり、3組の子供たちと一緒に聴きました。実際には思ったより、高い声ですね。カーンという、高めの金属的な音でした。いえ、鳴き声、でした (*^^*)
南蛮灯籠
石段の脇には伊達政宗が奉納した南蛮灯籠が。これも見逃さないようチェックしていたものです。
日光にある灯籠の中で最もよく知られているとか書かれていますが、そうなんでしょうか?
私は「南蛮」という言葉を聞いて、是非見なくてはと思ったのですが。周囲に居並ぶ石灯籠たちとは一見して違うことが分かる質感と大きさ。金属で小振りです。
どこかに西洋由来の金属加工技術が使われているんでしょうね。伊達政宗が西洋と関わりを持っていた一つの証左です。ローマ教皇への手紙で「キリシタンになっても良いと考えている」とまで書いていましたからね。
だけれどそれは海外との交易を願ってのことで、手紙を持たせてローマに送った使節は実質的に失敗に終わったので、政宗はキリシタンにならなかったんですけど。東北に王国を築こうとした男の野望が、茶色く煤けて立っているように見えました。諸行無常、色即是空空即是色。あ、ここは神社でしたね!
丹下健三を追え☆
東照宮美術館への道
では今度は少し静かな雰囲気の所へ足を向けてみましょう。東照宮にはクリスチャンが設計を手掛けた建物があるのです。それを見に行きましょう♪
「新社務所」と呼ばれるくらいだから、きっと神主さんらが集まっている所なんだろうなと思っていたら、目の前をスタスタと通っていく巫女さんが。
これだなと思ったので尾けてみました(ストーカーじゃないです^^;)。
東照宮美術館
現れたのは東照宮美術館。地図によるとこの裏手に「社務所」があると書かれています。「新」がついてないので?と思い、美術館の人に尋ねることに。
受付と清掃、管理を担当している女性に訊いてみると、旧社務所が東照宮美術館になり、新社務所が現在は社務所と呼ばれているんだとか。Oh,I understand.
東照宮美術館の庭
せっかくなので美術館に入り、日本の美に触れてみました☆
入場料は少々高いけれど、今まで知らなった日本画家の名前も覚え、生け花とのコラボも堪能。
お庭も超絶きれいですねー。
新社務所と客殿
で、日本庭園お抜けて
新社務所へ。こちらの建物が丹下健三のデザインです。すごい、正にTANGEワールド。
中には入れませんでしたが、外からだけでも素晴らしさは分ります。これもっと公開してフューチャーすればいいのに。
丹下健三はカトリックのクリスチャンで、東京カテドラル関口教会を設計し、今もその地下納骨堂(クリプタ)に眠っています。
東照宮宝物館
美術館も見たので、今度は宝物館だと思い、再び東照宮の中心エリアへ。古くっさい建物かと思いきや(失礼;;)、新しくてピカピカしていました。
館内(こちらでも別途入場料かかります)では、陽明門のCG映像や家康の南蛮銅具足などが見られます。
陽明門は修復終わるまで相当待たなければならないけれど、2次元なら一応こっちで見ることができるようになっているんですね。
宝物館前では菊花展がやっていました。年取るとこういうものの良さが次第に分かっていますね。丹精込められていることも知るから尚更に。見学用の長椅子も置かれていて、ここはちょっとした休憩スペース。館内に入らなければ無料です
(*^^*)
上島珈琲店にて
宝物館1Fに上島珈琲店が入っていたので、本日のランチはこちらで。店内は狭く客はそれなりに多いので、昼前に入店するのが良いようです。
女子のココロをつかむメニュー開発をしていて、上島珈琲やるなあと思いました♪
あとは二荒山神社と大猷院 (*´ω`*)
二荒山神社へ
東照宮の表門を出て、右手に伸びる上新道を通り二荒山(ふたらさん)神社へ。
写真で見ると長い道のりに見えますが、それほどでもなく、車が通らないので落ち着いた雰囲気を楽しめます。
東照宮の壁に沿って大きな石灯籠が並んでいるんですが、倒れている灯籠がいくつもあります。地震でかなと思いますが、あの、直さなくていいんですか (;'∀')?
二荒山神社拝殿
楼門と銅鳥居をくぐって二荒山神社に到着。参拝客結構いますね。というか、境内が割かし狭いので人がどうしても溢れてしまうようです。
日光金谷ホテルの近くにある神橋(しんきょう)はこちらの神社のものらしく、その橋が1250年記念で特別公開中だと宣伝しています。帰りに寄ってみましょう☆
私のようにさらっと見るだけなら、こちらの見学時間は15分ほど。さらっとし過ぎかしら??
大猷院
では大鳥居をから出て、出てすぐ右にある大猷院へ。
家光墓所がある塔頭で、輪王寺の一部です。
塔頭とはいえ、そんじょそこらの寺院の数十倍もあるお寺で、境内にお堂もバンバン建ってます。
左手に見える常行堂と法華堂の間の小道から下ると慈眼堂という、天海の墓があるお堂があるはずなんですが、その道は立ち入り禁止になっていますね。天海墓所も見たいのにな。うーん、どうしよう。後で考えようか。とりあえず大御所様の位牌と家光墓所を見なければ。
仁王門の仁王像
最初に輪王寺で買ったチケットを見せて進んで行くと、まず仁王門があり、その横に宝庫。水盤舎もあって・・・、軽い既視感に襲われました。
東照宮そっくりですね。作りもセンスも建造物も彫刻も、それらの配置さえも。それで若干小さめに作られています。
じい様を慕い、じい様に倣い、じい様のようになりたかった家光の心理が丸見えです。もちろん建立を命じたのは家綱ですが、家光の意向を十二分に汲んでこのようにしたのかと。
二天門も修理中
それでもって修復中の箇所とその様子がまた東照宮と同じなのだから、皮肉というか、何でしょう?
この二天門は日光山中で一番大きな門だそうです。
扁額だけが見えていますが、文字は108代天皇を務めた人のものだそう。天皇の権威まで付加して威光を輝かせているんだなと。
夜叉門
中に入れば入るほど東照宮のミニチュア版だなと感じます。ミニチュア版ゆえにコンパクトにまとまっていることは良いですね。どんどん進んで行きましょう。
夜叉門手前には鐘楼と鼓楼。夜叉門というくらいだから夜叉が4体いるわけですが、このうちの白い鍵陀羅(けんだら)という夜叉がもう (*_*;
子供にはモザイクかけた方がいいんじゃないかと思うくらい薄気味悪いです。廟を守っているらしいですが、良いものの方がかえって避けていきそうな。それでいて全体に金色の牡丹が散りばめられていて、優雅さを狙っているのか怖さを狙っているのか・・・理解不能なのは私だけ?
鐘楼 |
鼓楼 |
鐘楼・鼓楼解説 |
夜叉門 |
夜叉門解説 |
夜叉 |
夜叉門 |
夜叉 |
唐門
そして想像通りの唐門が出現。「あれ?東照宮にまた来ちゃったかな」という感じです。
そもそも東照宮は、1616年に75年の生涯を閉じた家康が、「死後一周忌を過ぎたら日光山に小堂を建てて祀れ」と遺言したことに始まります。
代を継いだ秀忠が造営に着手しましたが、祖父を深く尊敬していた家光によって豪華絢爛な今の姿に大改修されたのです。
だから畢竟、家光とグランドファーザー家康との愛の物語を見せつけられることになるわけです。家族愛ならそれはそれでいいのですが、それが政策にも持ち込まれたことで深刻な問題が起こりました。家康のキリスト教禁令を、家光はまるで東照宮の大改修のように壮大に成そうとしたのです。キリシタン迫害と処刑ですから、この場合は壮大ではなく残虐無慈悲に、ですね。
100年に一度公開される家康の位牌
大猷院に来たのは100年に一度公開される家康の位牌とやらを見るためなので、それがあるという拝殿へ。お寺なのに本殿や拝殿があるのが不思議ですが、日本人は神仏習合の考え方を応用し、都合に従って両者を使っているので、たまにこういう所あります。
中は写真撮影は不可だったので写真はありませんが、家康の位牌は通常よりかなり大きく、子供が立っているくらいのサイズ。でも形状は普通のものと大差ありませんね。愛知県の大樹寺にあるものと似ているなと思いました。いずれにせよ、「ここにいるな」という感じはしません。供養のためのアイコンですかね。
付け足しですが、この位牌を近くで見る前には、お坊さんによる物販のための長くて長い営業トークを聞かなければなりませんでした。龍モチーフの有り難い鏡があって、それを買うと付いてくるハガキに名前を書いて返送すると、徳川家と同じ供養をしてもらえて良い霊界に行けるそう。
期間限定で今しか買えないと言ってましたが、今後もまた違うグッズが出るでしょうから、興味のある人はどうぞ!
唐門解説 |
石灯籠 |
本殿 |
本殿解説 |
拝殿 |
相の間 |
本殿 |
|
皇嘉門
本殿脇を通って家光墓所のある奥の院へ!と思ったのですが、門の所でストップ。ここから先は公開されていないようです。残念。
天海のことをバットで殴りたいくらいと書きましたが、家光なら金属バットでフルスイングですね。そんな私みたいな人がいるから公開してないのか・・・|д゚)ハテ?
気になる慈眼堂と教会にも!
人気のない道を・・・
あーやっぱ行きたい。さっき道が塞がっていた慈眼堂ですが、やっぱり行きたいと思い地図を見ていたら、少し下った所からも道が伸びていることが分かりました。
舗装されているけど車が通った形跡のない、かなり静かなワイディングロード。傾斜もキツめですが、行こうと心に決めたのでえっさほいさ。
誰もいなくて寂しいから歌っちゃおうかな。あ、でも息がキレてきたので、やめます。こういう道は車や人が急に出てくると逆に怖いので、誰にも会いませんよーに☆
慈眼堂
行き止まりとなる
慈眼堂には25分ほどで到着。
ここは日光歴代法親王の墓所となっていて、天海が眠る慈眼堂はその一つ。
しかーし、私にしては頑張ってやって来ましたが、ここで残念なお知らせが。
慈眼堂の手前に柵があって、ここから先は立ち入り禁止みたいです。
あーあ…(*´Д`)
キリシタン迫害者の墓まで見てみたいという、私のニッチ極まりない野望もこれまでか。でもせっかく来たので讃美歌歌いまーす。こーこーも神の―みくになればー。音響効果は結構いいみたい♪
慈眼堂 |
日光歴代法親王墓所 |
日光歴代法親王墓所 |
日光歴代法親王墓所 |
国道120号線
下り坂を讃美歌歌いまくりながら下りて(人もいないので)、西参道をさらに下っていくと観光バスが行き交う国道120号に出ました。
この道沿いに日光奉行所と古い教会があるはずなんだけど、見つかるかな。紅葉が真っ赤できれいです。
日光奉行所跡
ものの5分もしないうちに、右手に
日光奉行所跡の石碑を発見。何かの施設の敷地内にあるため、柵越しに見るだけですけども。
これ、こんな立派な石碑建てるくらいなら、近くまで行けるようにするか、せめて解説板でも建てるといいと思うんですが、どうなんでしょ?
日光奉行所は家光の側近だった梶定良(かじさだよし)の屋敷跡に建てられました。だからここは家光家臣屋敷跡ですね。梶定良は家光の死後、日光で家光墓所の守番を命じられ、毎朝4時に起きて身を清めて大猷院にお詣りしたといいます。それで死んだ後、家光墓所の近くに墓を建ててもらったんだとか。家光には忠臣がいたんですね。
日光真光教会
また5分ほど歩くと、今度は可愛らしい感じの教会が☆
日本聖公会の
日光真光教会です。
県指定有形文化財で、なんと扉が開いています。
これは期待するしか~!
聖堂内
中に入るとシックで落ち着いた空間が広がっていました。
まるで母の胎のように包んでくれる感じ。
明治時代、避暑地として外国人が多く訪れるようになった日光では、割と早い時期から宣教が行われました。
ガーディナー牧師、マン婦人宣教師によって教会の礎が築かれ、この教会が聖別されたのは1916年のこと。あらま、ちょうど今年は100周年ですね。何か来た意味を感じたりして。バトンなら受け継ぎますよ
(*'▽')
ただ一つ、ちょっと気になるのは教会の名前がビミョーだということですね。真光を「しんこう」と読めばいいですけど、「まひかり」と読んじゃうと新宗教の名称になってしまうので。こっちの方が古いので、こっちが名前変える必要なんてないですが、間違われないように振り仮名を大きく付記してもいいかもしれませんね。
日光真光教会 |
解説板 |
聖堂内 |
ステンドグラス |
聖堂内 |
祭壇 |
日光真光教会 |
県指定有形文化財 |
バスに乗って神橋へ (*^^*)
板垣退助像が!
バス停「西参道」から世界遺産めぐりバスに乗り、「神橋」で下車。1250年ぶりに公開中という神橋を見ましょうということで。
バスを下りて道を渡ると、腕組みした男性の像が。解説板を見たら、
板垣退助像でした! ここでクリスチャンに会えるとはうれしい限りですが、何でここに板垣さん?
続けて解説を読んでみると、戊辰戦争の折、旧幕府軍が日光の社寺に立て籠もったことがあったのですが、新政府軍の将であった板垣が説得し、社寺が兵火に焼かれるのを防いだのだとか。そんないいことしてたんですね。世界遺産認定というのは一つの結果で、それまでどれだけの人が文化財を大切にしてきたかという、見えない背景があっての宝なんだなと思いました☆
解説板 |
板垣退助像 |
神橋
そいでもって神橋ですが、1250年記念の公開というけれど、まず神橋は普通に見えてるんですね。バス下りてから普通にずっと見えてて、道行く人も写真撮ってます。
では何が「公開中」なのかと言えば、その上を歩くことですね。多くの人が通ることを想定して保護材で覆われた上を渡る――、それが数百円に値するかどうかはあなた次第!
板垣さん見て気分が良かったので、数百円を投資して渡ってみました(ほんと渡るだけなので、行って戻って来るだけ)が、私の感受性が鈍いのか、何も感動を得られませんでした。大体1250年記念というけど、その時からこの橋が架かってた訳ではないですよね?何代目かの橋なら、その上を通ることがそれほど重要か・・・。ここは不問に付すのが良いですかね
(。-∀-)
日光金谷ホテル
神橋の近くにあるのが
日光金谷ホテル。ヘレンケラーやアインシュタインが泊まった高級ホテルです。
時間があったらじっくり見てみたいところですが、今日は外観だけ。それでも来てみたのは、宣教医J.C.ヘボンと関わりがあるからです☆
1873(明治6)年、日光に来たヘボンさんに泊まる宿がなく、金谷善一郎が自宅に招いたのがきっかけで、ヘボンは金谷にホテルを作ることを提案。作られたのがこのホテルです。今では歴史ある建物が国の登録有形文化財となっています。
ヘボンさんの足跡という意味で来てみたかったのですが、明治6年というので、はたと気付いたのは、この年は高札撤去の年ですね。1859(安政9)年に来日し、これからの日本に必要なものは神の言葉であろうと考えたヘボンは内々に聖書翻訳し始め、高札撤去よりも前に福音書の和訳を完成させていました。
いよいよ高札が撤去され、日本でキリスト教が黙許されるようになった年、ヘボンさんはこれからの日本を思いながら、新たな計画をこちらで立てていたのかもしれません。なんだか面白い話だなと思ったりして♬
日光金谷ホテル |
日光金谷ホテル |
日光金谷ホテル |
日光金谷ホテル |
日光金谷ホテルへの道
日光金谷ホテルへの道を下った所には、とても目を引く趣ある建物が。国の登録有形文化財だそうで、そこに金谷ホテルベーカリーが入っています。
金谷ホテルでお茶する時間はなかったけれど、ちょっと雰囲気を味わってみようといくつかパンを購入してみました。帰りの電車で食べよっと☆
星の宮 |
金谷ホテルベーカリー |
国の登録有形文化財 |
国の登録有形文化財 |
金谷ホテルベーカリーのパン
バニラビーンズのつぶつぶが見て取れる、クリームパンを小学生みたいに喜んで食べながら、東武スペーシアで東京へ。
料金も時間も、こんなもんかなと考えていたよりも安くて早くて、お得感があります。日帰りでお出かけなら日光も宇都宮もすごく良いですね。
悟りや学ぶことなどの満足感を加味するなら、更にコスパ良しです。何か栃木の回し者のようですけど (~_~;)
私のとち旅
そんなこんなで初めての栃木一人旅、私のとち旅を終えて帰宅しました。こんなに家を空けても許してくれる夫に感謝☆
今年になって「今のうちに行かないと機会を失う」という思いを強くし、一人でも出かけるようになりました。
人生は思うより長くなくて、時間は手の平から零れ落ちるように流れていくもの。一度流れれば戻ることもありません。
思えば行きたい所があるのもとても感謝なことですね。興味や関心を主が私に下さらなかったら、どれほどつまらなく生きていたことでしょう。栃木も、また来たいな♪
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