宇都宮城
歴史を紹介する「宇都宮城ものしり館」に入って行くと、ボランティアガイドの人がいて説明してくれました。
予め「蒲生秀行と本多正純に興味がある」と伝えたので、その辺りを中心に話してくれたので助かりました。
2人とも短い間しか宇都宮にいなかったけれど、本多正純は多大な影響を残し、正純のした街づくりが現在に引き継がれているそうです。
だけれど「釣り天井事件」を機に改易され、秋田に幽閉されて座敷牢で死去したのだとか。私も秋田で正純が閉じ込められていた城に行ったけれど、死ぬまで座敷牢だったという認識がなかったのであまり悲惨だとは思ってませんでした。私の抜けていた認識を主に補完してもらったような気がします。
本多正純とキリシタン
正純は家康がキリシタン迫害に舵を切ることとなる「岡本大八事件」の当事者。岡本大八は正純の家臣で、この人が九州のキリシタン大名有馬晴信に嘘をついて賄賂を受け取ったのですが、それが露見し岡本大八も有馬晴信も処刑されたのです。
元々キリシタン嫌いだった家康は、これを機にキリスト教禁に踏み切り、教会を破却し信徒を摘発するようにさせました。でも私はキリシタンの処遇には関心を持っても、加害者側のその後の行方についてはあまり追っていませんでした。これでは片手落ちですね。
それで今回は栃木に来るように「導かれた」のか――。考えてみれば、日光東照宮もキリシタン迫害者のツートップ家康、家光の墓所だし。用事があって来たと思ってましたが、これも意味があったのねと気付いた瞬間でした
(*‘ω‘ *)