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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 切支丹の江戸 part1


       再び始まりました、江戸散歩。
       気になっている所を一気に巡って行きたいと思います★
       では今日はスマホを片手に、しゅっぱつ (*^0゜)v



イエズス会の紋章

聖イグナチオ教会


スタートはカトリック麹町教会から。聖イグナチオ教会でお祈りして、シスターが本や小物を扱っているショップにちらっと寄りました。

イエズス会の紋章が鮮やかですね♪


司馬遼太郎の手紙

司馬遼太郎の手紙


続いてすぐそばにある聖三木図書館へ。会員制の図書館ですが、入口に掲げられている司馬遼太郎の手紙は誰でも見ることができます。

司馬遼太郎はクリスチャンではないですが、ザビエルのことがとても好きで、ザビエルの全書簡を翻訳して贈呈した河野純徳師にお礼と感謝のお手紙を書いているんですね。

「聖フランシスコ・ザビエル全書簡訳 御偉業を讃仰しつつ 御贈り下さいました御厚情に感謝仕ります。ここ数年こんなうれしきことはなかったように思います。私がザビエルが好きであること、でありながらその生命ともいうべき書簡を抄訳しかもっていないこと、(中略)声をあげたくなる思いでありました。先生の御仕事にくらべると貧しいものでありますが、ピレネーのザビエルの生家を訪ねた紀行同封してお送り仕ります」と書かれています。

1986年の日付ですね。それまでザビエルの書いたものは抄訳しかなかったというんですから、それ以前と以降とでは大違いです。研究が進むともっとリアルにわかってくることもあるので、時代の恩恵をもっともっと受けられたいものです (*゜v゜*)

司馬遼太郎の手紙
司馬遼太郎の手紙(後)
司馬遼太郎の手紙
司馬遼太郎の手紙(前)

心法寺

心法寺


では教会を後にして四ツ谷界隈へ。
大通りから一本入った所にあるのが心法寺です。開基は徳川家康だというから、400年は経っている訳ですね。ビル群に混じって数百年来の寺院があるのだから不思議です。

心法寺
心法寺
番町地区について
番町地区について
江戸時代の番町
江戸時代の番町
番町文化人通り
番町文化人通り

串田孫一旧居跡

串田孫一旧居跡


「番町文化人通り」といわれる地区は前も歩いたのだけれど、スルーしていた所もあるので落穂拾いのように拾ってみます(文化人に失礼か?)

こちらは詩人で随筆家でもある串田孫一の住んでいた跡地。現在はマンションなんですが、隣の石造物は串田孫一宅に置かれていたものなんですかね?そんな感じに見受けられます。

少し歩くと陶芸家の川喜多半泥子の家跡が。「東の魯山人、西の半泥子」との呼び名で聞こえた人ですね。確かに文化人どっさりです☆

串田孫一旧居跡
串田孫一旧居跡
石造物
石造物
川喜多半泥子旧居跡
川喜多半泥子旧居跡
川喜多半泥子旧居跡
川喜多半泥子旧居跡

英国大使館

英国大使館


お次は皇居の方向に進んで英国大使館へ。今一般公開中で先着100人か200人は中に入れるということで来てみたのですが、もう閉まってました。

東京は物見高い人で多いですからね。千鳥ヶ淵もかなりの人出です。遠目に見ただけで遠慮したくなるほど (^^;)

英国大使館の外にアーネスト・サトウが植えた木(正確にはその復元)がありました。「サトウ」というから日系人だと思ってた人も多いと聞きます。日系人ではなく、苗字の由来はスコットランドかどこかだったと思いますが、日本人からはよく覚えられて、親しみを感じられたでしょうね。ああ、桜きれい。

千鳥ヶ淵
千鳥ヶ淵
英国大使館
英国大使館
サトウ公使植桜の地
サトウ公使植桜の地
サトウ公使植桜の地
サトウ公使植桜の地

「実際の」滝廉太郎旧居跡

滝廉太郎旧居跡


続いて「実際の」滝廉太郎旧居跡へ。「実際の」というのは、「滝廉太郎居住地跡」の碑がある所とは若干距離があるから。

なんと西に100メートルもズレているんですよね。それを解説板で読んでから、いつかちゃんと「実際の」滝廉太郎旧居跡へ来てみたかったのです。今はマンションですね。高級な感じの。うむ、四ツ谷から半蔵門に向う辺りですからね。家賃とか恐ろしいことになってそうです。

「滝廉太郎居住地跡」の碑
「滝廉太郎居住地跡」碑
「滝廉太郎居住地跡」解説
「滝廉太郎居住地跡」解説
滝廉太郎居住地跡
マンション

藤田嗣治旧居跡

藤田嗣治旧居跡


イグナチオ教会方向に戻りつつ藤田嗣治旧居跡をチェック。これを見逃していて「文化人通り」を落穂拾いしようと思い立ったんです。見つかって良かった♪

乳白色の女性の絵で有名な藤田嗣治は、フランスに帰化してから洗礼を受けたので、レオナール・フジタとも呼ばれます。

藤田嗣治は私生活は破天荒でしたが、信仰は割としっかりしていたみたいです。私の考えですが。。(^^;;

藤田嗣治旧居跡
藤田嗣治旧居跡
上智市ヶ谷キャンパス
上智市ヶ谷キャンパス
上智大グランド
上智大グランド

上智大学

上智大学


近辺をぶらつきながら、上智大へ。新歓のシーズンで、正門前の丘には場所取りのビニールが布かれています。

昼間っからお酒を飲んで寝転がっている学生も。場所取り要員なんでしょうね。風物詩といえば風物詩ですが、なんだかなぁとぼやいてしまう春なのでした (;´д`)




         東京は少しずつ回るので、もう一日分続けて書いていきます。
         次は目白方面へ。電車に乗ってゴーです o(゜▽゜ヽ)




目白聖公会

目白聖公会


目白駅から山手線の外側へ。

5分も歩くと右手に西洋建築の教会堂が☆

1918年創立の目白聖公会です。

もうすぐ百周年だなんて、東京は歴史ある教会の宝庫ですね。


日本聖書神学校


目白通りをまた3分ほど歩くと、今度は現代風のモダンな建物に十字架が!

日本聖書神学校は日本基督教団の認可神学校で、多くの教職者(教会で働く人)を輩出しています。

以前見たときにはすごく古い建物で、昭和前期の香りがしてましたが、いつの間にか生まれ変わっててびっくり (*゜.゜)


日本基督教団 目白教会

日本基督教団 目白教会


少し戻って日本基督教団の目白教会も写真だけパチリ。2013年に創立百周年を迎えたそうです。

さすがですね。教会堂にはパイプオルガンがあり、演奏会も行われているのだとか。附属の目白平和幼稚園も歴史がありそうです☆


和敬塾


さて目白通りを今度は山手線の内側に向っててくてく。今日の一番の目的地は高山右近の書状を展示している永青文庫なので♪

手前には男子学生寮の和敬塾。この和敬塾と永青文庫、新江戸川公園までが昔の細川邸だった訳ですね。大名ってすごかったんだなと感じさせられます。


永青文庫

永青文庫


うふ。着きました、永青文庫。中は撮影不可なので写真はありませんが、しっかり目で確認して参りました。高山右近の書状を。

今回の「洋人奏楽図屏風と大航海時代MOMOYAMA」と銘打たれた特別展では、前期で高山右近書状と細川ガラシャ短冊、後期で細川ガラシャ消息が展示されます。

つまり二回来ないと両方見られないことになりますが、それだけの価値はある!!!と思います。というか、来なきゃ♪ こんなに素晴らしい機会を与えられて感謝です v(≧∇≦)v

高山右近と細川ガラシャ夫人


ではなぜこれらの著名なキリシタン(高山右近と細川ガラシャ夫人)の書いたものが残っているかといいますと、細川ガラシャ夫人は細川家の当主、細川忠興の奥さんで、高山右近は細川忠興の親友だったからです。そもそも、伴天連追放令が出ている最中にガラシャ夫人が洗礼を受けたのも、細川忠興づてに高山右近の話を聞き、キリスト教に興味を持ったからなのです。

特に今回展示された高山右近の書状は大変貴重なもので、私にとっては一生のうちに一回は直に見てみたいと思っていたものでした。高山右近が禁教令のあおりをうけて国外追放されていくときに書いた手紙で、右近の信念と心情がほとばしっているような内容だからです。

一生のうちに一回は・・・と思っていたものを、今日見てしまいました。ほんと、Thank you my Lord です♪

永青文庫
永青文庫
永青文庫
永青文庫
洋人奏楽図屏風と大航海時代MOMOYAMA
特別展
永青文庫
永青文庫

新江戸川公園

新江戸川公園


では興奮冷めやらぬまま新江戸川公園へ。もう一日の仕事成し遂げた気分ですが☆

こちらも細川邸の跡です。幕末までは細川家の下屋敷、抱え屋敷だったのが、明治から本邸になり、昭和34年からは都立公園となってオープンしました。

新江戸川公園

細川家の庭


新江戸川公園は細川家の庭をそのまま公園にしたものなので、大名の屋敷にあった庭園なるものを味わうことができます。

写真には写ってませんが、中高年のカメラマンが結構たくさん来ていて、盛況ぶりに驚きました。

すんごい長い望遠レンズとか、個人で持ってるの?みたいな感じですけど、こういうのがイマドキの中高年の流行りなんでしょうね。そういう私もカメラ小僧(おばちゃんか?)ですし (^▽^;)

新江戸川公園
新江戸川公園
新江戸川公園
新江戸川公園
新江戸川公園
春ですよ!

神田川の桜


神田川にピンクの流れを作り出す桜を眺めながら、都電に乗って雑司ケ谷へ。今は地下鉄も通っているんですね。

都内に住まなくなってから、生活圏が違うので歩き回ることが少なくなり、もう随分前からある駅や路線も初なことがあります。建物や商業施設なら尚更。

変化が早い街なんだなと思いますが、一方で毎年咲く桜はいつもと同じで安心感があります。いつ会ってもいつもと同じ、いい意味での安心感がある人になりたいなと思ったりして☆


雑司ケ谷霊園


そんでもって着きました、雑司ケ谷霊園。私の史跡巡りのツートップは教会とお墓です!(きっぱり)

クリスチャンのお墓、探しちゃいましょう♪ ついでに著名人のも。見ていると子孫がいなくなってしまって、連絡ないと墓を撤去しますよみたいな表示がちらほら。時代ですねぇ。

荻野吟子の墓

荻野吟子の墓


まずは日本で最初に医師免許試験に合格して医師となった荻野吟子の墓へ。

この人はクリスチャンで、すごい年下の伝道師さんと結婚して、北海道開拓と宣教に携わりました。

私は見たことがないけれど、三田佳子主演「命燃えて」で舞台化されて、おば様方の間では有名みたいですね。素晴らしい女性だと思います。

「命燃えて」
「命燃えて」
荻野吟子像
荻野吟子像
墓誌
墓誌
荻野吟子の墓
荻野吟子の墓
夏目漱石の墓

夏目漱石の墓


続いて夏目漱石の墓。何かの機会があったら行ってみようと、大学生の時から思ってましたが、今日初めて来ました。

「何かの機会」なんて、なかなか来ないから、機会は作らなきゃなと反省。

立派なお墓ですけど、お墓が立派だからといって何なんだろう?とも思いますね。

中浜万次郎の墓

中浜万次郎の墓


それからこちらが中浜万次郎(ジョン万次郎)の墓。漂流民としてアメリカに渡り、英語を習得して戻ってきて活躍しました。

ジョン万次郎はアメリカでいくらでもクリスチャンになる機会はあったのだけれど、決してなろうとはしなかったのだとか。

クリスチャンになったら日本に戻れたとしても、殺されるか再び追放されるからです。そういう時代に生きた人だったということですね。

中浜万次郎の墓
中浜万次郎の墓
東郷青児の墓
東郷青児の墓
東郷青児略歴
東郷青児略歴
成瀬仁蔵の碑

成瀬仁蔵の碑


そしてこちらが成瀬仁蔵の墓・・・、ですかね?碑みたいに見えますけど。

成瀬仁蔵は、私学としては日本で最初の女子大である日本女子大学を創立した人ですが、クリスチャンで、牧師もやっていました。

筋金入りのキリスト教精神で、女子教育の必要性を感じ、実践したんでしょうね。

成瀬仁蔵の碑
成瀬仁蔵の碑
成瀬仁蔵略伝
成瀬仁蔵略伝

羽仁もと子夫妻の墓


園内でも目を引く、洋風なお墓が羽仁もと子・吉一の墓。

羽仁もと子は日本初の女性ジャーナリストとして「婦人之友」等を発刊し、池袋にある自由学園を創立した人です。夫婦でクリスチャンですし。

その他雑司ケ谷霊園では、作家の永井荷風、夏目漱石の友であった大塚保治夫妻、早稲田の校歌の作曲家、東儀鉄笛の墓をチェックしてきました。他にも著名人はたくさんいそうですけども。


永井荷風の墓

大塚保治夫妻の墓

東儀鉄笛の墓

雑司ケ谷キリスト教会


霊園を裏手に出ると教会が。雑司ケ谷キリスト教会です。

学校法人雑司ケ谷学院、雑司ヶ谷幼稚園と書かれているので、教育に力を入れている教会みたいですね。

雑司ヶ谷幼稚園は1923年に、アメリカから来たマッケーレブ師と仲間の宣教師たちが作った幼稚園が元となり、1955年に都の認可を受けて発足した幼稚園だそうです。


雑司ケ谷旧宣教師館

雑司ケ谷旧宣教師館


そしてこちらが、マッケーレブ宣教師が34年間住んでいた家。

東京都指定有形文化財として一般公開されています。

明治期の宣教師がどんな生活をしていたのか、一端を窺えて非常に興味深かったです。建物は洋館で素敵だなと思いますが、やっぱり宣教師さんだから並々ならぬ困難を体験しながら頑張ってたみたいで。館内にいくつか学べるビデオが用意されているんですが、全部見てきてしまいました。時間が少しでもあったらおススメです \(o ̄∇ ̄o)/

雑司ケ谷旧宣教師館
雑司ケ谷旧宣教師館
解説板
解説板
敷地内の少女像
敷地内の少女像
雑司ケ谷旧宣教師館
雑司ケ谷旧宣教師館

中華そば!


さてとランチタイムは過ぎてしまいましたが、ランチタイムとか無関係そうなお店でラーメンを。いえ、昔ながらの「中華そば」の名が相応しそうです。おじちゃん、バター中華そば一つお願いします!

巣鴨薬園跡

巣鴨薬園跡


では再び街へ。今日も歩くなー。巣鴨駅からトコトコと染井霊園へ。

途中でこちらの東京中央卸売市場の豊島市場が巣鴨薬園跡だということを知りました。ただの広い場所だと思っちゃいけませんね、江戸は。

それなりに使われ方があり、何かだった訳ですから。

巣鴨薬園跡
巣鴨薬園跡
江戸切絵図
江戸切絵図

若松賎子の墓

若松賎子の墓


染井霊園ではお目当ての井上政重(初代宗門改役)の墓は見つけられず、若松賎子の墓だけ見つけました。

若松賎子は「小公子」を翻訳し、日本で初めて少年少女のための優れたキリスト教文学を紹介した人です。

旦那さんは巌本善治(いわもと・よしはる)。明治女学校の第二代校長を務めた教育家で評論家です。

夫妻の墓の左隣には巌本真理ら、子供たちの墓が、右手には若松賎子の妹の墓があります。あと偶然ですが、二葉亭四迷の墓も見つけました。苗字、長谷川さんだったんですね。こちらの霊園もいろんな人が眠っていそうです。

巌本真理らの墓
巌本真理らの墓
若松賎子の墓
若松賎子の墓
賎子の妹の墓
賎子の妹の墓
二葉亭四迷の墓
二葉亭四迷の墓

遠山金四郎の墓がある

本妙寺


ついでに近くの本妙寺にも来てみました。昔からここにあるとは知っていたんですよね、遠山の金さんの墓が。

遠山金四郎が南町北町両方の奉行を務めたということは、クイズ番組で見て知ってましたが、長崎奉行の息子だったことは初めて知りました。

ちょっとキリシタンとつながりましたね。出島を管轄する父親からは、キリスト教には重々注意するよう申し付けられていたことでしょう。

遠山金四郎の解説
遠山金四郎の解説
本妙寺案内図
本妙寺案内図
千葉周作の墓
千葉周作の墓
遠山金四郎の墓
遠山金四郎の墓

浅草聖ヨハネ教会

浅草聖ヨハネ教会


では地下鉄に乗ってもう一ヶ所(一地域)行ってみましょう。蔵前駅の界隈です。

初期の弾圧でキリシタンが処刑された、鳥越山刑罰場跡には、前からどうしても行きたかったんですね。今日は日没までもう少し時間があるので、東京に来たついでに行っちゃおうかと。

でもまずは教会に。日本聖公会の浅草聖ヨハネ教会です。

浅草聖ヨハネ教会

聖堂内


ダメモトで扉を押してみると、開くではありませんか! だから好き、聖公会系の教会って。カトリックと同じで基本受け入れようとしてくれてますよね。

しばしお祈り。外の喧噪とは裏腹に静かで良いです。落ち着きます。いや落ち着きすぎてもいけないんだけど・・・A=´、`=)ゞ


浅草税務署

浅草税務署


さて浅草税務署の辺りもちゃんとルートに入ってます。ここは刑場で処刑された人の遺骸捨て場だったようで、建物建設時に多くの人骨が出たそうな。

税務署の方には気を悪くして欲しくないんですよね、人は必ず死ぬ訳ですから・・・(何のフォローにもなってない?)

刑場の露となったキリシタンも埋められているかもしれません。キリシタンの遺骸は他の信徒が持ち去って、ここには埋められてないかもしれないけど。


須賀橋交番


そして本日のラスト、大通りに面した須賀橋交番の辺りが鳥越山刑罰場の跡と推定されます。

高木一雄の本では江戸通りと蔵前橋通りの交差する辺りだと書いてあって、その地点だと思っていたんですが、松田毅一の本に詳細な現在地が載っていて、ここに辿り着いた訳です。

キリシタンに興味を持って6年目にしてようやく、最初っから行きたいと思っていた場所に来ることができました。研究どんどん進んでくれという感じです。私が死ぬ前に、いえ元気なうちにいろんなことが明らかになって、その場所に行き祈り、何かを感じてくることが私の願いです。そんなことを思いながら、今日も感謝でハレルヤ ヽ( ´ ▽ ` )ノ



      
結構最後は駆け足になってしまいましたが、短い時間にこんなにも回れたのは意外で、有り難いことでした。東京は狭い範囲にぎゅっと詰まっているからでしょう。

詰まっているのは歴史と、そこに生きた人々の思い。年表になったらそぎ落とされてしまうような、ささいな物事や小さな思いを丹念に拾い集めながら巡っていきたいと思います♪





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