阿波公方の像
阿波公方(あわくぼう)とは、戦国時代の動乱の中、足利家の将軍争いに敗れた足利義冬が、阿波守護の細川氏に迎えられてこちらに移り住んだのが始まりで、上洛の機会を覗いながら、歴代の阿波公方が当地で暮しました。
館のあった平島庄に因んで「平島公方(ひらじまくぼう)」と呼ばれることもあります。
足利義冬が病に斃れましたが、息子の義栄が上洛を果たし、1568年に征夷大将軍に任じられ、第14代将軍になりました。しかし織田信長の登場で地位を追われ、阿波の地に逃れて療養中に病死しました。その後子孫たちは中央に出て行く機会のないまま、蜂須賀家の客将として代を継いでいきました。
家柄は認められていたものの、所領は没収され、蜂須賀家から与えられたのは茶湯料100石だけだったので、冷遇されていたと言っても過言ではありませんでした。しかしそんな境遇であっても歴代当主の中には漢籍などに長けた者が多く、一大文化サロンのようなものを形成していたこともありました。
そこで現在も、阿波にありながら京都風の文化を保ち、地元に文化的影響を濃く与えた存在として、阿波公方は尊敬されている訳ですね。田舎にあっても風雅なライフスタイルを送ったことが評価されているのでしょう。
ディエゴ結城関係の展示も、壁の一角に、小さくですけどありました。ディエゴ結城が2008年に列福されたから、それで展示に加えられたようです☆