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旅行記 > 薫風につつまれて Ⅲ
今日からはソウルに戻って観光です☆
景福宮のほか、Tさんが楽しみにしている漢江クルーズにも。
典型的な観光ルートですが、私こういうの初めてかも。。(;^_^
朝の散歩
朝は自由行動で朝食も各自で。ホテルに残る人はビュッフェも選べますが、そこまでゆっくりするのも何なので外へ。
ひばりの鳴き声を聞きながら外のテーブルで朝食を。生きている鳥のさえずりを聞くというのも、都会にはない贅沢なことですよね。食べているのは残り物のパンですけど♪
国民評価最優秀休憩所イプチャンSA
ソウルに戻るバスは「国民評価最優秀休憩所」と誇らしげに掲げているSAに寄りながら北へと向かいます。
最優秀というだけあって、新しくてキレイ。こういう最新式の建築物を見ると、韓国と日本では新しさや古さについての考え方が違うんだなと感じます。
最新式のものは素晴らしいのだ!という主張が炸裂しています。日本もそうじゃん?と言われそうですが、微妙に違うんですよね。最新のものに江戸情緒や地域性などのテイストをミックスするとウケるみたいなところがあります。
ソウル到着★
空港バスでソウル市内へ
Aさん母子の楽しそうな姿を横目に見ながら、うれしく思いつつソウル到着。娘が大きくなってからの母子旅、いいですよね。
一旦空港に寄り、そこまでのツアー日程の人を下ろし、今度は空港バスでソウル市内へ。車内に漂う気だるい空気。あとは寝るだけみたいな雰囲気が漂い始めてます。
移動距離が長いと、それだけたくさん時間が過ぎたような気がして、一日の終わり感が出てくるんですね。ハッスルしたいところですが(ハッスルって...笑)
大韓イエス教 長老会 南大門教会
宿泊するホテルの近くには大韓イエス教長老会南大門教会が。長老派の教会みたいです。
一等地に石造りの教会堂なんてすごい。バックのヒルトンの文字が目立っちゃってますが。
長老派はプロテスタントの一派で、信徒の中から長老と呼ばれる人を選んで、その人たちが中心に教会運営をしていくということが特徴です。プレスビテリアン(Presbyterian)とも言います。
不老門
ホテルに着くと、休む人は休み、元気な人は外へ。「あれ買いたい」「これ見たい」などの要望に応えて、ツアーの人がお店に連れて行ってくれ、要領のいい人は買い物を満喫していました。
要領の悪い私は買い物もうまくできず(あんぱんしか買わなかった…)、人々が何を欲しているのかウォッチしているうちに終了。お土産は最後にマートで買えばいいしなー。
洋服店で気付いたのですが、年齢がいっても服のシュミは意外と変わらないものですね。若い時に好きで着ていた服が似合わなくなっても、シュミは変わらないので、体型と流行とシュミに合った服を探そうとすると苦労する訳です。オバ体型になっても可愛いもの好きの私には、どんどん服選びのハードルが高くなっていくのは当然の理。
駅構内の「不老門」と書いてある門。ご利益を信じているんでもないのに通ってしまいました(ツアーの人全員通ってました)。ああ、人間とはそういうものですよね
(;´Д`)
不老門 |
景福宮を散策♪
光化門
翌日は一日まるまるソウル観光ということで、朝から景福宮(キョンボックン)へ。まずはどでかい光化門(クァンファムン)。光化門は景福宮の正門ですね。
景福宮は1395年に朝鮮王朝の正宮として建設されましたが、文禄の役で焼失し、1615年に昌徳宮にその機能が移されるまで王が暮らし、政務を行っていました。
つまり…、景福宮は小西行長軍や加藤清正軍が焼き払っちゃった訳ですね。それから1995年までは朝鮮総督府の庁舎がこの光化門の前に建っていました。実は景福宮観光は日本人にとって結構なダークツーリズムだったりするのです。
ちょうど広島の原爆資料館を見て、アメリカ人が何を感じるのか聞いてみたいみたいのと同じように、韓国人は日本人に「景福宮を見て何を感じる?」と尋ねてみたいことでしょう。そう聞かれたとき、日本人がどう答えるかを想像すると、韓国人の怒りも理解できるような気がします。恐らく「え、日本人が何かしたの?」と言う人が大半でしょうから。
光化門 |
景福宮内 |
興礼門
光化門の厳めしさから一転、次に現れる興礼門(フンレムン)は華麗な姿です。中門ですね。私が最初にソウル観光したときにはありませんでした。
この門は朝鮮総督府の建物が撤去された後、1996年に85年ぶりに再建されたものなのです。
韓服(ハンボク)に身を包んだ人々(主に若い人たち)が群がっているのは、民族衣装で来場すると入場料が割引になるからということですけど、自分をキレイに撮るのが好きな国民性が出ているようにも見えます☆
景福宮は広い・・・!
興礼門を抜けても、再び広い場所に出て、その先に門が見えるから驚きます。広大なんですねぇ。全部見て回るには一日かかるというのも頷けます。
前に見える門は勤政門。この広い庭に置かれた品階石に従って、官吏たちは品階に応じ両側に立ち並ぶようにされていたんですね。
韓国の歴史ドラマでよく見るやつだ (^^♪
勤政殿
さてと、着きました、勤政殿(グンジョンジョン)。韓国で最も大きな木造建築物で国宝です。
景福宮の正殿として国と国王の権威を象徴する建物ですが、あろうことか文禄の役で燃えてしまい、1867年に再建されました。
日本人による420年前の蛮行で失われたものが、日本でいうところの明治時代に再建されただなんて、なんと長い忍従の時間でしょうか。日本人はそういったことを知りながら訪れるべきでしょうねぇ。。
勤政殿内の玉座
勤政殿の内部をうかがうと、王が座る玉座は意外とシンプル。後ろに掛かっているのは「日月五峯図」(イルウォロボンド)という屏風ですね!
「日月五峯図」は韓国語の教材とか読んでると出てくるので、ちょっと知ってたりします。5つの峰の山と海、太陽、月などを描き、その前に王様が鎮座することで、初めて一枚の絵になるんだとか。
要するに天地を治める絶対的で永久な王、王権、王朝を象徴するものですが、その王朝が倒れ、玉座に誰も座っていないのは如何に解釈すれば…? 天の見えない神様が今は座っておられるのでしょうか。
思政殿
勤政殿の背後に回ると、王の執務室である思政殿(サジョンジョン)が。両側にオンドル部屋のある付属建物、萬春殿(マンチュンジョン)と千秋殿(チョンチュジョン)を配し、王の便殿(非公式的な政務施設)として用いました。
建設当時はこの三つの建物はつながっていましたが、興宣大院君(フンソンデウォングン)が景福宮を大規模修築した際に、今のように独立した建物の形に変わりました。
さあ!ここで名前が出てきた興宣大院君ですが、韓国のキリスト教史で忘れようとしても忘れられない大迫害者です。1866年にはフランス人神父9名やカトリック信者約8千人を捕らえて処刑(丙寅迫害)しています。
このときパリ外国宣教会のベルヌー司教らが殉教しているのですが、同時期に日本に来たパリ外国宣教会の神父たちは「信徒発見」を目にし感動していたのに雲泥の差です。もちろん日本に来た宣教師たちも大変な思いはしていますが、明治になると政府は宣教師までは手を出しませんでした。
二つ以上の国のキリスト教史を時系列で並べて比べてみると、いろんなことを思うようになりますね。地球全体を眺めておられた神様は一体どう思われていたのか…。
思政殿の御座にも座ったであろう興宣大院君のことを思うにつけ、腹立たしく悔しさが溢れます。これを恨(ハン)と言うんでしょうね。
思政殿 |
思政殿 |
思政殿 |
思政殿 |
日時計 |
日時計解説 |
萬春殿 |
千秋殿 |
康寧殿
しっかり見ようとしたら時間がかかり過ぎるので、康寧殿(カンニョンジョン)だけ見て出ましょうか。
康寧殿は王の寝殿。思政殿の後ろに位置しています。
景福宮は全体的に中国の紫禁城をお手本にしているので、建物の造りや配置、色彩や装飾に至るまでほぼ完コピ、いえ縮小コピーです。この時代、オリジナリティは重んじられなかったのか。中国人は既視感に襲われつつも、優越感を感じることでしょうね。
光化門公園を通って
光化門を通って
博物館は見たかったけど、それは次回に譲り、光化門を通って外へ。すぐ前は交通量の多い道だけど、道を渡ると芝の緑が美しい公園が。光化門広場です。
2014年8月16日、尹持忠(ユン・ジチュン)パウロと123名の殉教者が教皇フランシスコ1世によって列福された場所ですね。
列福とは「将来この人を列聖して聖人にするかもよ」(超訳)という段階に上げることです。
放送3社が中継した列福ミサの合計視聴率は17.8%だったとか。韓国には80万人のカトリック信者がいるとされていますが、それ以上の関心を引いたからこその視聴率ですね。
北漢山と景福宮
この芝の公園が人で一杯になっている様子を私もニュースで見ましたが、今は余裕持って歩ける広い空間。
そのとき集まった人数は100万人とも17万人とも言われていて、差の方に驚くというか、「誰かちゃんと数えろや」とツッコミたくなります。
そういう風に人数を「盛る」文化があると、強制連行とか従軍慰安婦問題とかに際しては由々しき事態を招くのではないかと思うのは、考え過ぎですかね。
たとい自分の損になっても、得にならないんだとしてもですよ、感情を差し入れず正確なデータを出すことを、お互いがしていかなくては歴史問題はこじれるばかりですよね...(´;ω;`)
世宗大王像
しばらく歩くと金ぴかに輝く世宗(セジョン)大王像が。
ハングル文字を作ったことで、今も偉大な王として尊敬されています。
ハングル文字を韓国国民はとても誇りに思っていて、毎年10月9日は「ハングルの日」(ハングルラル)として祝い、公休日にしています。
この世宗大王像の所がすごいパワースポットで、いい気が噴出していると、日本のガイドブックに書かれていましたね。あのう、パワースポットってさぁ…。まあ、好きな人が行くんだからいいか。世宗大王の功績を紹介するコーナーが地下にあるらしいですが、今日はスルーします。
世宗大王 |
ハングル文字 |
後ろから |
地下へ |
功績を記す碑 |
日時計 |
測雨台 |
いい気が出てる? |
ハングル文字の雑貨屋さん
ようやく着いた地下鉄にはハングル文字の雑貨屋さん。お休みのようで残念です。ハングルをモチーフとした雑貨、可愛いです♪
こういうのを見てテンション上がるところが、私も外国人観光客ですねー。浅草で着物や刀を見て喜んじゃう外国人みたい。
古くて新しいハングルワールドに物欲直撃されました。
漢江クルーズへ ヽ(‘ ∇‘ )ノ
漢江公園
地下鉄で漢江クルーズの乗り場がある駅へ。ツアーだとついて行くだけだから駅名も覚えませんね (;^_^A
楽は楽だけど知能が衰えそうです。ストレスにならない程度の適度な緊張感は、人間に必要なのでしょう。
神経もある程度は使わないと、脳も体もどんどん落ちていきそうですので。
とっても生々しいカルビタン。。
クルーズの前に夕飯をということで、各自好きなものを頼んだのですが、私の前に運ばれてきたのは、想像以上に生々しいカルビタン。
匂いも「肉!」です。いやいや自分で注文したんですけどね。食べるのに一呼吸おかずにはいられませんでした。。
カササギ発見
では今回の旅行記で恒例となってきた豆知識を一つ。海外旅行といえば両替ですが、2015年初夏のレートは以下の通りでした。
1万円 →空港 88,000ウォン
→街の両替所 93,500ウォン
→街の銀行 94,500ウォン
→ホテル 89,000ウォン
全部「約」ですけれども。ご参考までに(o^^o)
漢江クルーズ
クルーズ船に乗ったのは日暮れ前。陽が沈むに従って変わっていく空の色が幻想的で、見飽きないほど。
金色に光るのは63ビルですね。純福音教会の大きな教会があるという、汝矣島(ヨイド)もいつかちゃんと歩いてみたいな。
1984年にヨハネ・パウロ2世が金大建(キム・テゴン)神父ら103人の列聖式を行ったのも汝矣島広場だったから。
船内ではライブも
船内ではライブも行われ、「今日は日本のお客様もいるので日本の歌も…」と、中島美嘉の歌も歌ってくれました。歌詞をすごく曖昧に覚えてるみたいだったけど (;´▽`
思ったより外国人は少なくて、韓国人の家族連れが意外にも多いです。ソウル以外の地方から来て、記念に乗るのかもしれませんね。日本でもスカイツリーに上る人は、東京在住の人より地方からの旅行客が多いように。
イルミネーション
下船すると、漢江の岸辺はイルミネーションで覆われていました。
韓国人は基本ロマンティックなんじゃないかと思いますね。
特に恋愛に非常に関心が高いように感じます。
ライトアップされたソウル駅
あとは寝るだけなので豆知識でまとめていきましょうか☆
韓国人の大学進学率は今や90%を超えていて、高学歴社会。そうなれた理由の一つに挙げられるのは、学費の安さです。
韓国の大学は結構お金持ちで、ペ・ヨンジュンが出た成均館大学などはサムソンが経営しているそう。
大体、奨学金をもらって2年間は学費無料、3年生からも成績が普通より上であればやはり奨学金をもらえます。しかも返さないといけない奨学金はあまりないということです。国立大はもっと安く、寄宿舎に暮らせば寮費が1年間で10万円程度ですから…。
日本も国の施策として、そういうことを考えなければならないでしょうね。好景気だったのは遥か昔のことで、自力救済を求めるには額が大きすぎます。国の未来とも言うべき大切な若者たちのために。
最終日は買い物三昧
ソウル駅周辺
最終日は朝少しだけ散歩。とんでもなく広い車道の上に渡された道は、元はバイパスみたいな道だったそうですが、緑化して人間用になるそうです(私のアヤシイ韓国語で聞いたので間違っているかもしれませんが;;)。
鉄道インフラが整っていないせいで、車の排気ガスが気になるソウルもこれから変わっていくのかな。
朝ごはんはあんぱん
ホテルに戻って部屋で朝ごはん。昨日買ったあんぱんで。韓国人ってあんぱん好きです?よく売ってるので買ってしまいました。
あんぱん好きなのは私かっ。国が近いのだから好みも似てて当然ですよね。あとは対話で解くだけと考えるのは、楽天的過ぎるのかな。
ロッテ・マート
ソウル駅のそばにあるロッテ・マートは、レジでパスポートを示せば免税までしてくれるので超便利。
お土産を買うのに重宝します。私の場合、自分用の買い物がしたいので、スーパーみたいなお店がニーズに合っているのです。
ユルムチャ(はと麦茶)にユジャチャ(柚子茶)にテチュチャ(なつめ茶)に…って、お茶ばっかり(*´∀`*)
63ビル
空港バスから63ビルを遠望しながら、このreligious(リリジャス。宗教的な、信心深い、の意)な民族、韓国人のことを思います。
世界の民族性に関するジョークにも、「日本人はどこの国に行っても必ず会社を作り、中国人はどこに行っても食堂を出し、韓国人はどんな国に行っても教会を建てる」というのがあるそうです。
面白いですよ、Religious Korea ――。
仁川空港でお粥ランチ
仁川空港でツアー客はそれぞれの便に乗るため、挨拶して解散。私たちは再び3人に戻って、韓国料理の食べ収めとしてお粥でランチを。
娘と海外旅行に来ることができて、うれしさ余ったTさんはお粥を吹き出すほどに笑っていました。良いですね。人の喜びも自分のことのように喜ぶ者になりましょう。
ただいま日本
ただいま日本。成田は雨。結構しっかり降ってます。それでも不安感がないのは、自分の国だということに加え、安全な国だからでしょうね。安全な上に清潔ですし。
物価が高かったり等のマイナス面もあるものの、ここで生まれ育っているので、日本が体質に合います。ならば自分を拡大、展開したものが国と言うことが可能であり、日本を縮小して自分と言うのもアリかと。
日本のために祈らねばならぬはずですね。大きな自分なんですから。日本が滅べば私も滅ぶし、滅ばないまでも、国が病めば私も病の悩みに陥ることでしょう。「ちゃんと選挙いこっと」――。選挙のイメージキャラクターめいすい(明るい選挙推進と書いて、明推)くん(知らんわ!)のようなことをつぶやきながら、ツアーを終えたのでした。
Religious Korea!
観光のツアーで行ったにも関わらず、やっぱり最終的に印象に残ったのはReligious Korea。宗教性に富み、信仰深い韓国人の姿でした。何が彼らをそうしたのか? 研究者の数だけ説が出てきそうですが、私の説は「人ではないものがそうした」ですね。
神が与えたもうた性質のように感じるからです。ちょうど一人ひとりの個性のように、国に与えられた個性が国民性なのだと。もちろん韓国人の中にもいろんな人がいて、信仰深くないこともあり得ますけど、総体として。
神が与えたもう個性は、各国各民族にあることでしょう。日本人も得意分野があり、それを武器に世界に進出しています。それが韓国人にとって宗教性であるなら、韓国が世界に貢献できることもそこにあるのかと。
私的にはReligious Japanとなってほしいところですが、この分野は韓国に譲りましょうかね。韓国語と一緒に学んでいきたいと思います (^▽^)/
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