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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 続・韓国巡礼 part5



おっと、いつの間にか最終日です。今日は韓国最大の聖地(と私が思っている)天真庵へ行って、夕方の便で帰ります。時間との戦いの部分もあると思いますが、行くべき所に行って、思い出のお土産袋をいっぱいにできますように!



市内バスで終点まで


天真庵へはソウルからテクノマート方面行きバスに乗って終点まで行き、そこから4キロ歩かねばなりません。

朝の通勤時間帯におっかなびっくりでバスに乗り、とりあえず第一関門突破の気分で揺られていきます。途中で人がどっと下り、そこからは登山装備した親子連れと私たちのみ。

田舎か山がちな所に行くんだろうなとは覚悟していましたが、どんどん店もないような町に入って行って不安がよぎります。カトリックの大きな聖地なんだから、すんごく整えられていて、ある程度は人も来ているんだろし、きっと大丈夫…だといいなぁ (^▽^;)アハハ



終点・・・


「下りてください!」と運転手さんに言われて下り立った停留所は山の中。

店も公衆電話もなく、ただ停留所があるのみ。登山装備の親子は山へと無言で向かって行きました。

もしかしたらタクシーでも拾えるのではという淡い期待は雲消霧散。はて、どうすべきか?


ひたすら道なりに4キロ・・・


夫が天真庵の代表番号に電話してくれましたが、「歩くしかない」との返答で、ええ、歩きましょう!歩くしかないなら。

時折巨大なトラックが猛スピードで通過して行く危険な道を、ただひたすらに歩みます。

幸い自然は豊かで素敵な表情を見せてくれるので、余裕のある夫は写真を撮りながら楽しんでますが、4キロも歩けるか心配な私は脇目もふらず前進するのみ。右の写真、左前方に私がいます。トラック怖くて側溝に何度も避難しました...(´;ω;`)ウッ



天真庵への道

鳥のさえずり

天真庵への道

野の花も咲いて

天真庵聖地入口


本気モードで1時間強歩いて、ついに到着。ここが天真庵だ!

と、叫びたかったが叫べませんでした。入口の巨大ロウソクに唖然としてしまって。いやー、このエントランス、デザイン的にどうなんでしょう?

キリスト教っぽくないというか、日本の山中にこんなのが建ってたら、完全に新興宗教の本拠地です。。こういうのって、カトリック界のエライ人がデザインを考えるんですかね?いろんな意味を込めて。意味あるモチーフを用いるとしても、それらを建築物として具現化する仕事は美術や建築の専門家にしてもらう方がいいと思うんですよねー。信徒の皆さんは受け入れているんでしょうか。

天真庵の来歴については下の解説板を参照してもらうのが一番ですが、なんせ韓国語オンリーですから…。写真撮っておいて、帰宅してから辞書と首っ引きで解読しようと思います☆



解説板1

解説板2

解説板3

解説板4

西学勉強していた頃

案内図

様々な施設

とにかく広い

駐車場からして広い


天真庵というのは、とにかく広い一大聖地。周辺の土地をまるごと買い取って順次開発を進めているようです。

駐車場からして広いと思いながら横切ると、巡礼者受付があったので窓を叩いて挨拶を。すると「あら、さっき電話してきた人?え、歩いて来たの?はっ、日本から!?」。

次第に大きくなる受付担当者の驚き。信者さんが交代で詰めているようです。バス停から歩いて来る人も、日本から来る人も滅多におらず、おまけに夫の電話は日本人とは思われなかったようで。熱心過ぎて驚かれること、こちらでは多いですね。日本人が信仰深いというイメージが、韓国ではないからでしょうか。



マリア像


受付のおばさんが紹介してくれて、天真庵を担当する神父さんに話を聞くことができました。

海外からも巡礼団が来ることがありますよと写真を見せてくれましたが、台湾とフィリピンの聖職者グループでした。個人で日本人はやはりレアみたい。

神父さんが天真庵の成り立ちから、敷地内の施設についてまであれこれ話してくださったのがですが、私が収穫だと思ったのは、李承薰(イ・スンフン。朝鮮にキリスト教を輸入した人物)の墓がここにあるということ。

私が日本で読んだ本には、李承薰は棄教したから、処刑されたけれど殉教者ではないと書かれていて、その墓はこことは別の場所にあると写真まで載せていたからです。神父さんによると、近年になって李承薰は殉教者であるとカトリック教会で認定され、復権したのだとか。それでお墓も前の埋葬地から移して記念のミサが挙げられたそうです。

私は李承薰に会いに昔の墓に行こうと思っていたくらいなので、こちらで会えるようになり、無駄足も踏まずに済んで感謝です。また何より大発見(大収穫?)です。李承薰が復権したということからして。知ることができて良かったー♪



教皇の言葉

ヨハネ・パウロ二世

聖地内案内図

野鳥

野外ミサ場?


聖地内の案内図を見て、目指す墓地まではまだ1.6キロもあると知り、眩暈が。いや、ここまで来て見ずに帰るなんてあり得ないので行きますけど。行きたいですし。

それにしてももうちょっと近くに、コンパクトにまとめて聖地を作れなかったものかしらとボヤキながら進みます。

こちらは何万人も集まってミサが行えるという場所。山の手前に聳えているのはマリア像。衣に中華風の模様がついていて、若干アジアンテイスト。一般の日本人なら観音像を思い浮かべそうだな。。


韓国天主教発祥地へ


人が作るものはどこかちぐはぐで、何とも形容しがたいビミョーな雰囲気になってしまいますが、山道の自然の中に分け入って行くと、神霊な空気に包まれます。

ここは祈りの地、ほんとに「聖地」だなと。


韓国天主教発祥地碑

小川が流れる

花が咲く

韓国カトリック創立記念祭

韓国天主教聖祖たちの墓所


奥へ進めば進むほど、俗世と離れた雰囲気となっていき、木々に覆われて薄暗くなります。

しかしその先に墓所が見えてくると、さっと光が差し込んでその空間が浮かび上がるみたいに。

なかなかの演出ですね。ここが韓国天主教(カトリック)を立てていった聖祖たちの墓域。聖域という感じを強く受けます。聖祖たちが飲んだとされる氷泉水という湧き水も冷たくて、清められる気が☆



林の中を行く

墓域が見えてくる

氷泉水

氷泉水解説板

聖祖たちの墓所


権哲身に権日身、李檗に丁若鍾(茶山の兄弟)など、にわか知識しか持たない私でも知っている人々がずらり。

あ、李承薰の墓も!ここに移されたというのは完全なる復権ですね。

ほんとにここに皆眠っているんだろうかと、疑いたくなるほどです。何せこの人たちは皆殉教しているのですから。よく遺体を取り返して、管理できたものだと思ってしまいます。しかし韓国人の信仰心ならやっただろうなとも。ある信徒は複数の殉教者の胴体を背負い、斬られた首の髪をくわえて山を越えたという話が伝わっています。

この人たちの壮絶な死の後にも、信徒たちによる壮絶な戦いがあったことがしのばれます。そして今や韓国はキリスト教徒が人口の3割を占めるというのだから、彼らは勝利したんだということですね。命に代えても伝えるべきものを伝え、受け継いで、それが今の韓国を構成する大きな要素となったのですから。



権哲身

権日身

李檗

李承薰

丁若鍾


墓域

天真庵聖地


 読書処址と講学堂址


読書処址


墓域の晴れた雰囲気とは対照的に、「読書処址」と書かれた所はとても内省的な印象。陰鬱と言ってもいいような、寂しい静けさです。

ここで李檗が約13年間本を読みながら過ごしたようです。「読書」というよりは「思索」だったんでしょうね。


李檗聖祖読書処址

解説碑

静かな佇まい

鳥が鳴く

講学堂址


さて韓国カトリック教会の出発は、李承薰が北京で洗礼を受け帰ってきた1784年春とされています。

しかしそれより前の1779年冬、天真庵の走魚寺では、権哲身が主宰する講学会が行われていました。

その跡とされるのが、こちらの講学堂址。墓域からほど近い、林の中にひっそりと碑が建てられています。


講学堂址

解説板

花が咲く

記念碑

池もある


戻ってくると大きな池が。昔からあったんでしょうね。青緑の水をたたえていて…、私の感覚ではちょっと怖い感じを受けますが (;''∀'')

地域全体が大規模に開発され過ぎていて、聖祖たちが聖書を読んだり研究していた頃の様子を全く想像できないのがいかにも惜しいです。

土地を切り拓いて整備すれば確かに何万人が集まれるかもしれませんが、こんな風に開発しちゃって後悔はないんですかね?風情や趣が一切ないんですよ。小さく小さく始まった、その頃の様子を感じられるものがなんにも。



小道

中華風の聖母

道案内

大規模開発

天真庵の小聖堂


更にまだまだ、韓国カトリック教会設立記念巡礼大聖堂や創立史研究所、博物館、神学研究所などが建てられる予定だと書かれていますが、人もあまりいなくて閑散としているのに、開発だけ進んでいいものかと…。

聖祖たちの働きには感動するものの、現代の乱開発を目にすると、火に水が掛けられるような気分になります。

まぁ、韓国カトリック界の方々の好みもあり、理想もあるでしょうから、ここは黙っておきますが。天真庵の小聖堂で頭を下げて「御心の通りになりますように」と祈りました。



小聖堂

ルルド

聖像

小鳥


 再会!そして行けなかった墓所にも


またごちそうになり・・・


いつ来るかも分からぬバスに乗るため、再びバス停への4キロの道を歩こうとしていたら、駐車場に入ってくる一台の車が。え!ミカエル夫妻!!!

本気で二度見するほど驚きましたが、夢ではなく、本当にそこにミカエル夫妻が。私たちが行くと話していたので、ボランティアが終わるや否や天真庵に向かってくれたのだとか。

昨日に続き今日まで。もう泣きそうです。「お腹すいたでしょう」と、またもやとてもいいお店に連れて行ってくれ…、もうここはいっそ泣いちゃいましょう。あ、いい意味で!(´;ω;`)


聖人と福者の墓


ミカエル夫妻が来てくれたお陰で、徒歩では行けないだろうと諦めていた所にも行けることに♪

天真庵の横手から山に登ったような所にあるのが、聖祖たち以外の聖人と福者の墓。

私が知っているのは聖人に挙げられている丁夏祥くらいですが、たぶん他の人たちもすごい人たち。「聖」とか「福者」という文字が普通に付けられています。



聖劉進吉

聖丁夏祥

福者

墓域

聖祖たちの家族の墓


またもう少し離れた所には聖祖たちの家族の墓。韓国って…非常にお墓を大切にする文化を持っているんですね。

カトリック教会を創立した人たちや、その後を担って活躍した人たちまでは理解できるとして、その家族たちの墓までここに移して顕彰するなんて、少しやり過ぎのような気もしないではないですが。。



家族の墓

家族の墓

家族の墓

家族の墓

家族の墓

家族の墓

聖人像

家族の墓域入口

金浦空港へ


しかし車のお陰で思い残すことなく見て回ることができて、ここにも主の御手を感じました。マリアさんは「不思議ねー。あなたたちは改新教(プロテスタントのこと)なんでしょ」と言っていました。

韓国ではカトリックもプロテスタントも大きいからか、違う宗教のようにお互いに交流せず、関心を持つこともしないようです。これも日韓のギャップですね。


金浦空港にて


「我が家は空港の近くだから、帰るついでだよ」と言いながら、金浦空港まで送ってくれたミカエル夫妻。もちろんそれは、こちらに負担感を抱かせないためのウソ。

実際鉄道で向かうより早かったので助かりました。帰国したらお礼状書くぞ! 2人と別れてチェックインし、ほっとひと息つくと、ハートのオブジェが目の前に。

全てが主の愛の中だったんだなと感じました。人がたくさん助けてくれたのは事実だし、それはとっても感謝しているのだけど、もっと深く見れば神様が密かに手を回して(言い方が悪いか?)人を遣わしてくれたように感じられます。だからこそマリアさんも「不思議ねー」と言ってた訳で。

ということは…、カトリックもプロテスタントも超えたところに本当の神様はおられるはずですね。そんな悟りをもらいながら、行き当たりばったりの韓国巡礼を終えたのでした☆彡





       人が旅をするのは


人が旅をするのはなぜでしょう? 見聞を広げるため、知らない文化に触れるため、グルメ、スピリチュアル…。一人ひとりに理由はあるだろうけれど、「旅に出よう」と思うときは、何か自分に刺激を与え、出来ることなら自分を変えようとする気持ちが働いているときではないでしょうか。

今回韓国を祈りの心で巡礼してみて、私なりに得るものがありました。自分が「知っている」と思っていたことが、非常に浅いレベルだったと分かりましたし、まだまだ知るべきことが多くあることに気付きましたし。

そこでこれを機に、もっと韓国にも韓国人にも、韓国のキリスト教というものにもトライしてみようと思うようになりました。よい刺激を受けたと思います。変化しようという意欲を持ち続け、足を運びながら学んでいくなら、人生全体も旅のようになっていくかもしれませんね。

いつもいいタイミングで私を刺激し、新たな意欲を与えてくださる神様に、「本当に私のことをよくご存知ですね!」と言わずにはいられない、そんな旅をさせてもらいました (o^^o)ハレルヤ






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