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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 続・韓国巡礼 part4


今日午前は韓国に留学中の知人に会ったりして、少し私的に過ごします。旅行自体がプライベートなものですけど。なので巡礼は午後から。ちょっと息抜きもしながら過ごせるといいなー(^^♪



新しい靴


昨日買った運動靴を履いてみました。なぜか紐がやたら長くて、若干ブサイクな足元になっていますが、切るわけにもいかず (^_^;)

知人との待ち合わせの前に明洞の両替所で両替を。知っている中では、銀行以外で一番レートが良く、かつスピーディー。

地下鉄駅に向かっていくと誰かの像が。見てみたら、1926年日帝の会社に爆弾を投げた人を「義士」だといって称えている記念碑と像でした。それが明洞に建てられているなんて、反日感情は未だ衰えずということですね。



義士の像

記念の解説碑

列士の解説碑

梨大(イデ)


知人というのは、私が一緒に演劇をやっている男の子のお姉さん。もう随分前から知り合いで、今年から韓国に留学しているのです。

留学先の梨花女子大学にも行ってみたいと思い連絡を取り、地下鉄「梨大駅」で待ち合わせ。なんかおしゃれな街ですね (*'▽')


梨大周辺

梨大周辺

梨大周辺

梨大周辺

新村駅


梨大駅からは鉄道の新村駅もすぐ。駅前のロータリーが広くて、車の運転が荒いです…。

韓国では信号を待つとき車道のギリギリで待ったりせず、車がはみ出してきても大丈夫なくらいの所で待ちましょう!


朝からアイス


どこかでご飯でもと思ったのですが、朝だからやっていない店ばかりで、朝ご飯の代わりにアイスを。若者にはこれもアリだというので、まぁいいか☆彡

彼女は日韓のハーフなので、授業で日本のことを悪く言っているのを聞くと胸が苦しくなると話していました。反日教育にそんなに力を入れるのは、国の求心力を高めるためでしょうか。こんなことが今の世代で終わることを願います。


梨花女子大


五月晴れの陽光を楽しみながら梨花女子大へ。

広いです。キレイです。キリスト教系の学校なので、正面に見える建物は教会堂。

その手前に地下へと潜る近代的な建築物は授業が行われる講義室などがあるらしいですが、「モーセの海割り」と呼ばれているそう。初めて見た私でもそれを思い出したくらいだから、そりゃそう呼ばれますわな。

梨花女子大は抗日の列士でクリスチャンだったユ・ガンスン(柳寛順)が籍を置いていた学校(当時は梨花学堂といった)なので、像とかあるのかと思っていましたが、そういうのはないようです。彼女も柳寛順がここの学校出身だと知らなかったと言っていたので、あまり知られてないのかな?



教会堂

教会堂

「モーセの海割り」

創立者


 世界遺産・南漢山城へ (@⌒▽⌒@)


南漢山城 至和門


息抜きを兼ねた時間を終えて、午後は早速殉教地へ!(我ながらよくやるなーと思ったりもしますが)

南漢山城(ナマンサンソン)という、去年世界遺産に登録された山城があるのですが、そこが殉教地でもあるのです。

地下鉄で南漢山城入口まで行き、そこからバスで向かいます。予想と違いバスは超混みで、韓国人って山が好きなんだなと思いました。着いても結構な人出で、すごい人気。高尾山並みかも(高尾山行ったことないけど)。

山道へ下りて行く所にあるのが至和門(チファムン)。南漢山城を代表する史跡の一つで、ここへ連行されて来たキリスト教徒もこの門を通ったはずです。



至和門

至和門解説板

山城

山城

南漢山城は広い・・・


南漢山城は「山城」と言うだけあって、山の広範囲にわたり城門や石垣などの遺構が残っています。つまり、歩いて全て踏破しようとしたら、ゆうに一日はかかってしまう規模。

最初間違って下へと行ってしまったので、間違いに気づいて登る羽目になったのですが、そのしんどいことしんどいこと。間違いを正すって、元の場所に戻ってやり直さないといけないので余計に時間もかかって、その分の苦痛と後悔が大きいことを悟りました。

下り始めてしまった所まで復帰して、とりあえずひと休み。私は一日分の体力を使い果たしたようで、頭痛で吐き気までする始末。しかしここまで来て殉教地を見ずに帰るのはアホらしい!夫に買ってもらったサイダーとポン菓子でちょっとだけ回復したので、その機に乗じて立ち上がりました (*´Д`)ファイトー!



案内標識

人多い

地図

つつじが花盛り

南漢山城殉教者顕彰碑


今度は地図でしっかり確認して、遂に到着。南漢山城殉教者顕彰碑!

この小公園が「聖地」なのかな?

「聖地」と言うとエルサレムが思い浮かびますが、韓国では殉教者を偲ぶこういう公園を「聖地」と呼ぶようで、お祈りの場みたいな感じですかね。日本だと「巡礼地」と呼ぶと思いますけど。でも韓国なので、ここは南漢山城殉教聖地。植栽も整えられていて、静かに祈るには良いですね、「聖地」。



南漢山城聖堂


聖地の隣には南漢山城聖堂が。聖堂の建物が伝統様式で、やや仏教か儒教風。破風に十字が描かれていなければ、武道とか習えそうです。

しかし中に入ればちゃんと聖堂で(当然だけど)、祭壇にはキリスト像。窓にはステンドグラスもはめられています。

でも壁に描かれた模様などかちょっと…中華風かなぁ。ラーメンの器みたいな柄が書かれていて。。(;^ω^)



聖地へ入る顕揚門

聖地

顕彰碑の基台

聖堂

聖堂内

ステンドグラス

聖堂前

トマスホール

捕盗庁跡


ドクンドクンと偏頭痛が襲ってきたので、カメラを夫に任せて私は休憩を。食堂の店先で一歩も動けなくなったので、縁石に腰かけて痛みが去るのを待ちます。

その間に夫は周辺の史跡を回って写真を撮ってきてくれました。私も通り過ぎながら見たには見たんですけど、中に入って行って解説板まで見てくることはできなかったので、早足で回ってきてくれる夫に感謝です。

あー、体力カモン。健康よ、私を満たせ。こんなザマで神さまから戦力外通告受けないかな...(>_<)
先ほど横目で見た駐車場とロータリーは捕盗庁跡。広州の治安を担当した機関で、ここでキリスト教徒たちは訊問を受け、拷問されたと解説碑に書かれています。



捕盗庁跡

捕盗庁跡解説碑

捕盗庁跡解説碑

捕盗庁跡

演武館


こちらは演武館(ヨンムグァン)。南漢山城の警備をする兵士を訓練した場所だと解説板には書かれていますが、それだけではありません。

韓国カトリックサイトPaxkoreaによると、演武館の横に二つの小さな建物があって、そこが「男獄」「女獄」と呼ばれていたそうで、つまりキリスト教徒が入れられた獄の跡。殉教地です。

獄は捕盗庁にもあったようで、正確に比定されているわけではありませんが、南漢山城ではこの二か所が殉教地だったと考えられます。なぜなら南漢山城には正規の処刑場はなく、獄で拷問されて死んだり、絞首や白紙死で殺されたりしたのですから。資料で見るととても多いですね、南漢山城での殉教者は。



演武館

演武館解説板

演武館解説

演武館敷地

南漢山城 聖潔教会


休ませてもらって歩けるようになったので、暗門に向かって歩いていると、お城みたいな教会堂が。

「大韓聖潔教会 南漢山城教会」と書かれています。

すごいですね、天に向かってそびえたつ十字架の大きさが。建物と比べると少しアンバランスなくらいですが…これがクリスチャンの心意気だよと聞こえてくる気がします。建物に刺さっているみたいとか言っちゃダメなんだろうな。韓国の教会堂のセンスって、日本と、また欧米ともちょっと違うなと思った瞬間でした☆



聖潔教会

聖潔教会

南漢山城教会

南漢山城ビジターセンター


もう少し東に向かうと南漢山城のビジターセンターが。まだオープンしていなくて、休憩場所を得られず残念。できれば帰りのタクシー呼びたいと思ったのですが、職員もいないので…困った。

この辺りが南漢山城の東端みたいですね。じゃあ暗門まであと少しか。頑張ろっと。


公園

ビジターセンター前

石組が見える

山城を修復中

暗門


車が容赦なくビュンビュンと走る道を身をすくめながら進み、ついに来ました、暗門!

別名シクムン(死躯門)とも呼ばれるこちらの門は、城内で処刑されたキリスト教徒の遺体がこの谷に捨てられたがためにそう呼ばれるようになったのだとか。

もうその跡は谷間の水とともに流れてしまいましたが、迫害時代は殉教者の死体が数十体も放置され、人々が憚った所だということです。カトリックの巡礼地となっていることも、ちゃんと解説板に書かれていますね。カトリック教会が設置した解説板だけでなく、公の観光案内でもそう書かれているところが評価できる点だと思います。



暗門

暗門解説板

暗門

川沿いを


暗門のそばを流れる谷川。信徒の遺体はこの辺りにうち捨てられていたんでしょうか。

ガードレールが急に切れている箇所があって、危うく足を滑らせそうになり、肝を冷やしました。肝を冷やすという言葉がしっくりくるような、恐ろしい気が流れている所ですね。死躯門…。

ここの気だけが原因ではないでしょうが、全身がゾクゾクと寒気がしてきて、日が暮れかけてきたこともあって、寒さで歯の根が合わないくらい震えてきました。夫が上着を脱いで着せてくれ、タクシーを呼ぼうと携帯で電話をかけてくれましたが、タクシー会社の番号も分からず、分かってもつながらなかったり…。

せめてビジターセンターに戻ろうとするも、何歩か歩くのがやっと。無情にも高速で走り抜けていく車たち。タクシーは通らないし、頭痛と腹痛はひどくなるばかり。大体なんでこんなに体が重いのか。骨まで染みるようなこの寒さはどこから?ああ、神さま助けてください。今まで悪い子ですみませんでした!

「低体温症」という単語が頭をよぎり、もう動けないし祈るしかないと思って祈っていると、夫の携帯に着信が。「え?ミカエルさん?」。夫の顔に浮かぶ驚きと喜色。通話を切った夫曰く、ミカエル夫妻が近くまで来ていて迎えに向かってくれるとのこと。えっ、どうして!?

お祈りが叶ったにも関わらず、あまりにも叶い過ぎて驚いていると、10分もしないうちに夫妻の車が目の前にププーとクラクションを鳴らして到着。拾ってくれました。えええー、本当にどうして!?




 た、助かった・・・!


ハウヒョン聖堂


そう言えば一昨日の別れ際、「明後日南漢山城に行くつもり」だと話していたのですが、それを覚えていた夫妻が、ボランティアが終わってから南漢山城の方に向かって来てくれていたそう。

近くまで来たから合流しようと、夫の携帯に電話をくれたのが、ちょうどあの動けなくなっていた時だったのです。

もう感謝感激で泣きたいくらいです。神さますごい。今日も助けてくださって。実際に助けてくれたのはミカエル夫妻だけど、神さまが人に霊感を与えて送ってくださったんでしょ!(と心の中で神さまに言う)

夫妻が帰り道にもどこか寄れる所がないか考えてくれ、ハウヒョン聖堂に連れて来てくれました。私ときたら、さっきまでの体調不良はどこへやら、車に乗って数分でほぼ回復し、聖堂を見て「わー♪」と喜べるくらいに。こういうところをゲンキンというのか?いえ、これは信仰の恵みでしょう (#^^#)



ハウヒョン聖堂

司祭館と記念碑

聖ブルリエ神父像

聖堂内の聖母子

実物大の「十字架の道」


ハウヒョン聖堂は京畿道の文化財第176号にも指定された史跡地、聖ブルリエ神父ゆかりの地だそう。

平日の夕方だというのに、聖堂内に多くの人が祈りに来ていて、びっくり。

もう一つびっくりだったのは、庭に置かれている実物大の「十字架の道」。ド迫力です。ここは聖堂でもあり聖地でもあるのか、広い敷地内に様々な意味ある像が建てられていて、聖母が出現したというパネの聖母像まで。日本にも秋田に涙を流した聖母像があるんだと話したら、夫妻はご存知でした。カトリックの人はやはり聖母に対する信仰が篤いんだと感じました。



十字架の道

パネの聖母

祈りの園

花々

韓式のフュージョン料理


「お腹すいたでしょう」と夫妻が連れて行ってくれたのは韓式のフュージョン料理(伝統的な韓国料理を新しくアレンジした料理)を出すというお店。何だかとても高級そう。

聞けば夫妻が結婚披露宴をしたレストランなんだとか。そんな高級な、そして思い出深いお店に連れて来てくれたなんて、感謝を通り過ぎて恐縮なくらいです。

有り難くごちそうになり、泊まる宿まで送ってもらってお別れしました。「明日はどこへ行くの?」と訊かれて「天真庵」と答えたのですが、明日は夫妻は用事があるということでした。今日助けてもらった(状況から言うと「救出」と言った方がいい)だけでも十分ですよ。ありがとうございました☆彡





         興奮して味わう!?


実際に美味しい食べ物でも、他のことを考えながら食べたり、悩みながら食べたりすると味が感じられませんが、「きゃー!うれしいっ」と興奮しながら食べると美味しく感じられて感動までします(今日実感)。

それは史跡めぐりも同じで、楽しみにして訪れると、それが見えてきた時点で走り出したくなり、到着したら「わー、ここ来たかった!」と喜んで写真をパチパチ撮り、感謝のお祈りまでしていくのです。

食べ物のように史跡巡りも、心で興奮して食べるものなんですね☆
人生も…、そこまで風呂敷を広げなくても日常のちょっとした出来事や出会いにも、きっと美味しく食べる方法があるのだと。

美味しい毎日を、旅先だけでなく日本に戻ってからも、ちゃんとしていけるようにしましょー (*´▽`*)




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